1987年のビートルズ初CD化についていけなかった話

(※昨年の夏に一度投稿して短時間だけ公開した後、気が変わって没にした記事の再掲です)

当ブログに書き残しておきたいと前々から思いつつ、なかなか取りかかれないでいたトピックのひとつが、1987年にビートルズの全音源がアナログレコードからCDに移行したときの自分の思いである。先日の「Yesterday And Today」米国盤の記事で別ミックスのことに触れたので、その流れでやってしまうことにした。ほとんどのビートルズファンには同意してもらえそうもない、もしくは細かすぎてどうでもいい話だろうと思うとなかなか書く気になれないでいたけど、そもそも当ブログは自分自身のためにやっている独りよがりブログである。自分が書きたいことはどんどん書けばいい。とにかく書くことに意義があるのだ。

87年のビートルズ全音源一挙CD化。針音のないクリアなデジタル音質でビートルズが楽しめるようになったのだから、めでたさしかなかったはずの出来事なのだが、自分の中では次第に違和感が大きくなっていき、ビートルズそのものから心が離れそうになった。音質向上よりも何よりも自分にとって重大だったのが、「Please Please Me」~「Rubber Soul」の初期6作品のミックスが変わったこと。特に「For Sale」までの初期4作は、当時普通に聴けた左右のチャンネルにくっきり分かれるステレオバージョンではなく、モノラルに差し替えてのCD化となった。87年当時15歳だった自分は、すでにビートルズの全曲を隅々まで聴き尽くしていて、何よりも初期の作品が大好きだった。当時の自分が親しんでいたビートルズの音は、80年代日本盤アナログLPのステレオミックス。初期2作は、基本的に楽器が左、ヴォーカルが右にくっきり分かれる。3作目の「A Hard Day’s Night」から「Help!」までの3枚はヴォーカルが中央に定位するようになったが、「Rubber Soul」は左右に分かれるミックスになぜか戻っている。「左右泣き別れ」ミックスと言われることも多い奇妙な音像ではあるけど、自分にとっては音が左右に分かれていないとビートルズを聴いた気分になれない。完全なる刷り込み効果である。歌がメインで聴きたければ右側のスピーカーのそばに座り、楽器が聴きたければ左側に座る、ということもやっていた。初期の楽曲はほとんどライブ録音のように音質が生々しいので、音が左右に分離していると、演奏したり歌ったりしている4人のすぐそばにいるような気分になれる。


87年当時、ビートルズのモノラルミックスは普通には出回っていなかった。最初のうちは、それまでおいそれと手に入らなかったレアなモノバージョンが聴ける、という面白さがあった。「Please Please Me」などはミックスだけでなくテイク自体から違ったし、同じテイクでも曲によってステレオでは聴けない音がモノには入っていたり、逆に入るべき音が抜けていたり、といった相違点がたくさんあったのだ。それは良いのだけど、問題なのはモノでのCD化に際して、「本当のビートルズはステレオではなく、モノである」と大々的に言われ出したことだった。今まで出回っていたステレオミックスは粗雑な「やっつけ仕事」であり、モノミックスが当時のビートルズとジョージ・マーティンが意図していた「本来の姿」だったと。そんな話、それまでまったく聞いたこともなかった。当時高校生だった自分は素直に、そうだったんだ、と思った。それならば、当事者たちの意図を尊重して、これからはモノでビートルズに接しなければならない。これまで親しんできたステレオのビートルズは、本人たちの意図とは違ったのだから、ダメなやつだったんだ。80年代末期、時代はLPからCDへと雪崩を打って流れ、あの黒いレコードは街の音楽ショップからも、レンタル屋や図書館からも急速に姿を消し、虹色に輝く未来の円盤に取って代わられた。もう後戻りすることはあり得ないのだと、自分は思い込んでいた。一生懸命、新しい「本当の」ビートルズに慣れようとした。でも、いくら聴いてもどうしても違和感が拭えない。音像の定位だけでなく、前述のテイク違い、細かなミックス違いがいちいち耳についてしまう。


「Please Please Me」のステレオバージョンのテイク(上の1つ目)では、ジョンが途中で歌詞を間違えて最後のサビの出だしで少し笑い出すという有名な場面があるのだけど、これを自分は「失敗」とは捉えておらず、それはそれで曲の大切な一部として聴いていた。モノのテイク(上の2つ目)では確かに歌詞は間違えていないけど、自分には全体の雰囲気がもったりとして聞こえる。ステレオのテイクの方がフレッシュな疾走感があって全然好きなのだ。こういう別テイク/ミックスも、あくまでバリエーションという形ならそれでよかったのだけど、レアバージョンではなくこちらが唯一の「本物」という風には、自分の中でどうしてもアップデートできなかった。「Help!」「Rubber Soul」はステレオ収録だったけど、微妙な立体感を出したリミックスが新たに施され、それすら余計な演出に感じられて好きになれなかった。

CD化の当初、ビートルズの音源に関しては別ミックスや独自編集盤の存在を一切認めず、全世界で統一して「正しい」バージョンをリリースするという方針が採られていた。そういうビートルズ公式の方針に従ってモノのビートルズに慣れようと苦労しているうち、次第に反発すら感じるようになってきた。自分がそれまで慣れ親しんできた、アナログレコードで聴けたステレオのビートルズは、粗悪な偽物だったんだろうか。モヤモヤが解消できないまま、80年代末から90年代前半までしばらくの間、徐々にビートルズ自体から自分の心が離れ、あまりビートルズを聴かなくなってしまった。大学生になって、バイトで稼いだお金でCDを大量に買うようになったけど、ビートルズのアルバムはたった1枚、「Rubber Soul」を買っただけ。ほかの作品はすべて、借りたCDからテープにダビングして済ませている。確かにリアルタイムのロックにどっぷりはまっていた時期ではあったけど、決してビートルズを「卒業」したのではなかった。CDのビートルズがどうしても好きになれなかった。自分がそれまで親しんできたステレオLPのビートルズを突然「非正規」扱いされたことに、自分の中でうまく対処できなかった。中高生時代の自分が多大な思い入れを持って聴き込んできた音を頭ごなしに否定されたように思えて、苦々しい気持ちになったのだ。

やがて、忘れもしない1994年4月、カート・コバーンの死を新聞記事で知ったその日に、ショックを持て余した自分は何をしたらいいのか分からないままふらふらと秋葉原の電気街に出て、気を紛らわそうとしたのかレコードプレイヤーを手に入れた(中高生時代は実家の居間で親のを使わせてもらっていた)。そしてビートルズも結局、アナログでまた聴き始めることになった。

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2009年にビートルズ全作のリマスターCDが出たとき、今度は初期作品もかつて慣れ親しんだステレオミックスに戻されることになり、初CD化から22年経ってようやく自分は溜飲を下げた。それ以前にも、まず1999年の「Yellow Submarine Songtrack」で、最新技術を駆使したまったく新しい時代のリミックスが公式に制作されて世に出た。2004年には「The Capitol Albums Vol. 1」も出て、ビートルズがあれほど嫌っていた米国編集盤が、ステレオ/モノ併録で公式にCDボックス化されるという出来事もあった。初期楽曲のステレオミックスがCD化されるのはあれが初めてだったし、当時の米国独自のいわゆる「キャピトル・ミックス」もそのまま収録。この辺でもう、87年の初CD化の際に立てられた統一方針は完全に反故になっていた。


今なら、「本当のビートルズはステレオではなくモノである」と言われても、ステレオミックスを隅々まで大切に聴いていた中高生時代の自分を否定された気持ちにはならない。そうなんですね、でも自分はこれからも昔から慣れ親しんだステレオで聴きます、と聞き流せる。「Rubber Soul」のような作品は、確かにモノラルだとじっくり落ち着いて浸れる良さがある。それでも、初期4作のモノミックスは80年代末の苦々しさが蘇るので、自分は今でもあまり聴きたくない。いずれにしても、今やモノラルの音源は再び入手の難しいものになった。時代は変わる。だけど、1987年から2009年までの22年間、初期ビートルズの4作目までは公式にはモノラルに統一されていた。22年は十分に長い時間である。

以上、長々と書いてきたことはすべて、ステレオ/モノの良し悪しではなく、細かすぎて伝わらない、ごく個人的な話である。ビートルズであれ何であれ、音楽の「正しい聴き方」なんて誰にも決めることはできない。耳と心を使って自由に聴けばいい。

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