All I got to be is, be happy

今年の2月にジョージの「Blow Away」シングル発表40周年に合わせた記事を書いた。そのときに書き切れなかったこと。

「Blow Away」のサビに「All I got to be is, be happy」という歌詞が出てくるけど、ハッピーになるとは、どういうことなのか。よくある昔話のハッピーエンド、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という言葉に、子供の頃から何となく引っかかるものを感じていた。一件落着したからって、いつまでも幸せなんてあり得ないだろう、その後だって何だかんだ辛いことや大変なこともありながら暮らしていったはずだ、と子供心に納得がいかなかったのだ。もちろんそんなのは誰もが内心わかっていることで、物語を終わらせるための端折りに過ぎないのだが、ひとは大人になっても「幸せになりたい」とよく言う。この「幸せ」は、子供の頃に聞いた昔話の「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」のイメージを引きずっているように思う。

「いつまでも幸せに」がなぜ嘘っぽいのか。生きていて時間が流れている限り変化は避けられない宿命だから。自分も変わるし、周囲も変わる。健康状態も、社会情勢も、流行も、気候も、すべては絶え間なく移り変わる。自分は変化が苦手で、ずっと変わらない環境でひたすら穏やかに暮らしたいと思うけど、それは無理なのだ。変化は宿命なのだから。日々、細々とした舵取りをしつつ、岐路に立たされあれこれ迷い、たまには大きな決断を迫られる。万が一どうにもならなくなったら、全部ぶっ壊すダイナマイトのスイッチだって心の中には隠し持っている。変化に押しつぶされないための心の保険みたいなものだ。

これから死ぬまで運良く辛い目に遭わず、難局をそのつど回避して「幸福」に暮らすことは、もしかしたら可能なのかもしれない。それでも、その幸福は自分だけのこと。図書館で先日ふと手に取った岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という著書に、最近の自分が読みたい言葉が書いてありそうだったので、借りてきて昨晩一気に読んだ。岡本太郎は幸福という言葉が大嫌いだという。自分自身や家庭が恵まれて健康で幸福だと思っていても、隣の家庭では血を流す苦しみを味わっているかもしれない。人類全体の痛みをちょっとでも感じ取る想像力があったら、幸福ということはありえない、ということが書いてあった。それは自分にもよくわかる気がした。世界はすべてつながっている。毎朝のように散歩で通る、いかにも田舎っぽい長閑な踏切で、近ごろ投身自殺が2件続いた。自分とは無関係の人たちがたまたま近所を死の場所に選んだだけだが、馴染みの深い場所でそんなことがあると、どうしても無関係ではいられない自分がいる。自分は死ぬほど悩み苦しんだりせずのほほんと生きててごめんなさい、とかそんなことではない。無関係のはずの死者との「つながり」をどうしても意識してしまうのである。ここは天国ではない。不幸や苦しみは常にすぐ隣にあり、何の拍子にいつ吸い込まれるかわからない。世界のありとあらゆるものはつながっている。自分だけいつまでも変わらず幸福でいられるというのは、何かから目を背けている。見て見ぬふりをしている。少なくとも自分はそう思う。

「変化」と「つながり」からは逃れられないのだから、いつまでも幸せに、なんてあり得ないのだ。世界で起こりうるあらゆることを若いうちにすべて経験してしまったジョージは、そのことを誰よりもよくわかっていたはず。そのジョージが歌うハッピーは、ハッピーエバーアフターのハッピーではないだろう。じめじめと降り続いた憂鬱な雨が上がって青空がのぞき、陽光が差し込んだ瞬間のハッピー。のっぺらぼうに続いていく幸福ではなく、青空が輝いた一瞬の嬉しさ、生きている喜び。そっちのハッピーを大切に味わって、死ぬまで生きる。

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今朝見た蓮の花。数は少なかったが、いつも見るピンクとは違う白っぽい花が美しかった。

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