John Wesley Hardingについて、またはディランとインド音楽

先日、一週間のアメリカ出張に行って、当地のレコード店でまた古レコードを何枚か買って帰ってきた。そのうちの一枚がボブ・ディランの「John Wesley Harding」。65年からエレクトリック路線を突っ走り、聴衆の罵声を浴びながら演奏する生々しい緊迫感がもの凄い66年のライブはもうヘヴィーロックの先駆けみたいな激しさだったが、バイク事故で一年以上の休養をはさんで出した67年の復帰作がこの地味渋すぎるシンプルなアルバム。サイケ全盛当時のリスナーからしてみれば肩すかしもいいところではなかったのか、と思いきやかなり売れたらしい。意外に思えるけど、こういうリアルタイムの空気は自分みたいな後追い世代にはわからない。「バイオグラフ」に収録された数曲は昔から知っていたものの、アルバム通しで聴いたのはかなり後になってからだった。「Dear Landlord」が非常に好き。自分がバンドをやってた頃にこのアルバムから何だかんだ3曲も取り上げていた。うち2曲はカバーのコピーだけど。まったくどうでも情報ですが。

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レコードを手に入れて、アルバムジャケを初めてしげしげ眺めてみて気づいたのは、ディランと一緒に写っている左側の人物が掛けているスカーフに「ॐ」があしらわれていること。

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この二人はネイティブアメリカンだと何となく思っていたが……調べてみるとインド人だった。ベンガル地方の吟遊詩人であるバウルの兄弟、Luxman DasとPurna Das。ディランのジャケにインド人が写っていたとは、そして、ディランとバウルに関わりがあったとは!さらに調べると、ディランとこのバウルたちとの関係を詳しく書いた記事の翻訳が。これは非常に長いので今は読めないけど、とても興味深い。必ずあとで読む。……しかし、今日までそんなこと全然知らなかったなあ。ほんとに知らないことばかりである。バウルのことも自分はそれほど詳しく知らないのだが、パールヴァティ・バウルのコンサートはインドで観たことがある。

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ジャケ写真でディランの着ているジャケットは前作「Blonde on Blonde」のものと同じ。これも何だかとても意外に思える。同時期に同じ人物が着てるのに、この距離感。60年代後半という時代の変化のスピードが凄まじすぎると改めて(これも後追い世代の感想なんだろうけど)。

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裏ジャケの演奏者クレジットに入っているスチールギターのピート・ドレイク、ジョージの「All Things Must Pass」でも名演をたくさん残している。「Behind That Locked Door」の演奏、悲しみを優しく包み込んで慰めてくれるような慈愛の音色は涙なくしては聴けない。ジョージのアルバムに参加したのはディランの紹介らしい。インド音楽といいピート・ドレイクといい、ジョージ要素がけっこう見いだせたのはうれしい。

ディランとインドのかかわりなんてこれまで意識したこともなかったけど、こんなどシンプルな音のアルバムから気づかされるとは。ディランが「僕はアメリカのバウルだ」と言った意味をもっと知りたい。ソロになってからのジョージと同じように、ディランもシタールをビンビン言わせてインド風味にしました、という音楽はやらなかった。ディランもジョージも、異物として取り入れるのではなく自分が持っているものと共鳴する形でインド音楽とかかわっていたんだろう。

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