凄かった:Bob Dylan「Shadow Kingdom」

今年の5月に80歳のお誕生日を迎えたボブ・ディラン。7月19日に最新ライブ「Shadow Kingdom」がオンライン公開され、自分も視聴チケットを購入。当初は48時間限定の公開と言われていたのだけど、好評につき大幅に延長されて25日現在もまだ見られているので、今も音だけ流しながらこの記事を書いている(日本時間26日午後4時で公開終了予定)。おかげで何度もリピート視聴できて、とても有り難い。本当に繰り返し観たくなる内容なのだ。

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2020年4月、自分もチケットを買っていた来日公演は中止。そのことが決定したすぐ後に突如、新曲「Murder Most Foul」がリリースされ、6月には最新アルバム「Rough and Rowdy Ways」も出た。それから1年ちょっとが経過した2021年7月に公開された「Shadow Kingdom」は、ディランのライブとしては2019年12月以来だという。未だにパンデミックが収束しない状況の中、ここでは上記の流れの延長で、自分が去年体験できるはずだったライブの「代わり」が見られるのかな、ぐらいに思っていたのだけど、蓋を開けてみたらまったく予想外のものだった。「時代は変わる」のジャケそのままの書体で、「THE EARLY SONGS OF BOB DYLAN」という言葉がばーんと出てきて、ああっ、そういうことなのか!と軽く吹っ飛ばされ、あとは最後まで食い入るように見てしまった。凄かった。


事前に公開されていた予告編にも「THE EARLY SONGS」という文言はすでに出ていたけど、自分は本編を見終わるまでこの予告編の存在を知らなかった。「初期の曲集」と銘打たれただけに、新作からの曲も、近年のスタンダード曲カバーも、一切なし。バックを固めるバンドのメンバーも、近年の流れとは全然違うようだ。ギタリストとしてディランの厚い信頼を受けてずっと隣にいたチャーリー・セクストンがいないし、ステージで一番目立つウッドベースを弾くベーシストは若い女性。映像に登場するバンドの演奏はたぶんライブ収録ではなく、事前に録音されたものに見える。それにディランが生の声を重ねているのではないか。最初から最後まで画面はモノクロ。これは、周到に作り込まれ、深読みを誘う手掛かりが張り巡らされた、60分弱の映像作品だったのだ。

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もちろん、何よりも凄かったのはディラン本人。声がよく出ているし、ギターを弾いているし(少なくとも映像では)、ハーモニカもたくさん聴ける!近年作品でのしゃがれきった声も格好良かったけど、この演奏での歌声はかなり理想的なディラン声ではないか。80歳になって、ここまでプレイヤーとして完璧なディランが聴けるとは思っていなかった。選曲がまた凄い。今のディランの声で「Tombstone Blues」とか「Pledging My Time」が聴けるなんて。もちろんスタイルは60年代フォークロックとはまったく違って、クリーンなトーンのエレキギターが1~2本入っている以外はアコースティック主体。ドラムやパーカッションは入っていない。優しいアコーディオンの音色が印象的で、全体にフォークとブルースとラテン音楽の融合みたいな、異国情緒のあるメランコリックな感覚が支配している。「Most Likely You Go Your Way」や「Tombstone Blues」を演奏しても、ロック的な要素はほとんど感じられない。過去の忠実な再現は決してしないけど、ここでのディランは昔の自身の曲をかなり大切に愛おしんで演奏している。この演奏、今のところ限定公開でもうじき聴けなくなってしまうのだけど、もっと聴き込みたい。

映像に関しては、コロナ禍まっただ中の2021年現在に真っ向からぶつけてきたものに感じた。一見、古き良き50年代アメリカのバーで演奏している設定のようだけど、ステージで演奏しているディラン以外のバンドメンバーは全員、顔の大部分を覆う真っ黒なマスクを着用。一方の観客はマスクどころか、これ見よがしにタバコをすぱすぱ吸っている。観客全員、一人残らず喫煙しているのである。そのタバコの吸い方がまた見ていて不快になるぐらい傍若無人で、挑戦的に思えるほど。自分も20代の頃は1日1箱ペースの喫煙者だったのだけど、30歳を少し過ぎた頃に完全にやめている。この観客たちの吐き出す煙が最初のうちは目障りに感じて、ちょっとそろそろやめてくれないかな、と思ったのだが、ステージのバンドメンバーのこれまた非常に目立つマスク姿と、明らかに前時代的な喫煙者たちが映像の中で同じ空間を共有していることに気付いたら、納得できた。これは意図的な対比なのだと。

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ディランを含むステージ上の出演者は2021年現在を生きる人々に見えるのだが、観客たちは明らかに60年代以前で時間が止まった人々。観客、特に男性客たちはステージをまともに見ることはなく、個々の物思いに沈んでいる様子である。これはもしかして、現代社会の深い分断を象徴しているんだろうか。こうなると、観客たちの口から吐き出される煙はまるで、ウイルスの拡散を表現しているように見えてくる。さらに映像を観ていると、エアコンの吹き出し口にふさふさした光る飾りが付いていて、歌うディランの背後でエアコンから出てくる風にバサバサとなびくシーンがある。これも、空気の流れを目立つように強調する演出に見えた。社会の分断に、空気を媒介とするウイルス感染……やはり、今現在の社会、特に去年から今年にかけて世界に覆い被さっている不安と恐怖そのものとしか自分には思えなくなった。終盤の「Watching The River Flow」でようやく観客たちはタバコを消し、男女ペアで楽しそうに踊り始める。すると今度は観客席でなくステージ上に物憂そうな女性が現れて、タバコを吸っているのだ。最後はディランとバンドだけの映像になって、「It’s All Over Now, Baby Blue」。この選曲と終わり方がまた色々と考えさせる。

自分は映画やアート全般に疎いのだけど、この映像を手がけた監督のAlma Har’elは、調べてみたら1976年イスラエルのテルアビブ生まれ。ビデオジョッキーからスタートして音楽ビデオや映画の監督に進出、2019年には全米監督協会賞を受賞したという。80歳のディランと比べればほぼ半分ぐらいの年齢で、72年生まれの自分よりも若い。ベーシストの女性はJanie Cowanというアラスカ出身のミュージシャンで、ネットには公式サイト以外の情報があまりない。今のところ、見聞の狭い自分に書けるのはこれだけ。「Shadow Kingdom」の成り立ちと制作陣について、もっと詳しく知りたい。これは繰り返し味わう価値のあるもの。見た人ならまず思うだろうけど、期間限定のネット公開ではあまりにももったいない。ぜひ映像ソフトとして後年まで残ってほしい。この作品は、昨年出たポールの「McCartney III」と似たようなことを自分に感じさせる。80歳を迎えてなお意気軒昂とか、そんなレベルではない。ディランは自分たちと一緒にこの2020~21年の同じ空気を吸い、同じ世界の現実を直視して、ゴリッと重たい手応えのあるものを残してくれたのだ。

セットリスト:
When I Paint My Masterpiece
Most Likely You Go Your Way (And I’ll Go Mine)
Queen Jane Approximately
I’ll Be Your Baby Tonight
Just Like Tom Thumb’s Blues
Tombstone Blues
To Be Alone With You
What Was It You Wanted?
Forever Young
Pledging My Time
The Wicked Messenger
Watching The River Flow
It’s All Over Now, Baby Blue
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