David Bowie「Blackstar」

年の始まりはデヴィッド・ボウイが亡くなったことを思い出す季節になってしまった。3年前の今日、ボウイ69回目の誕生日の1月8日に「Blackstar」が発売され、黒い星を大きくあしらったCDが自宅に届いたばかりのあの日、新作を初めて一周聴いて、これは素晴らしい、ボウイは今現在この世界に生きていて、こんな新しく格好いい音楽を作っているんだ、と感激しながら2周目を聴き始めたところで訃報が飛び込んできた。そんなもの信じられるはずがない。呆然としたまま近所の神社に出かけ、地域の人々と新年の行事を手伝っていたのを覚えている。あれから、新年になって少し経ち正月の浮かれた雰囲気が落ち着いた頃、あのボウイの死と一緒に届いた黒い星のことを思い出し、あの日に呆然と眺めた神社の風景や夕暮れの星空、寒さがひとりでに頭に浮かんでくる。

思えばボウイは自分が物心ついた80年代からリアルタイムでずっと活躍してきていたし、ライブを観に行こうと思えば行けた。しかし80年代ボウイは80年代どっぷりすぎて自分の眼中には入らなかった。90年代初頭にCD再発で自分は70年代の作品群に初めて出会った。「Changesbowie」の1曲目、「Space Oddity」を聴いて文字どおり宇宙の果てまで飛ばされ、それからずっと70年代ボウイに夢中だった。90年代、リアルタイムのボウイの音楽も耳に入ってきてはいたが、何となく波長を合わせることができず、ボウイと同時代を生きているという感覚を持てなかった。人の命に限りがあるということもまだ実感はしていなかった。「Blackstar」が届いて、とうとう同時代を生きるボウイに追いつけた、と思った瞬間に彼はいなくなってしまった。もし「Blackstar」をひっさげて来日なんてことがあれば絶対に観に行く!と思っていた。3年前の1月、本当に一瞬だけ、ボウイに手が届きそうになったのだ。あれは忘れられない。

いくら地球に落ちて来た男ボウイとはいえ、あの死のタイミングは完璧すぎた。じきに、ボウイが自身の死を明確に意識しながら「遺作」として「Blackstar」を作っていたことが明らかになってきて、そうなるともう壮絶すぎて、このブログでおいそれと書ける領域ではなくなってしまう。ここしばらく、この作品は聴いていない。あの日に叩き付けられた真っ黒い星はあまりに強烈で、日常で気軽に接する気分になれない。もう少し時間が経ったら変わるのかもしれないけど今はそんな感じ。

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あの日届いたCDはジャケを汚してしまって、無傷の形で持っていたかったので2枚目を購入、未開封

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