「Blackstar」がまだ聴けない

ボウイの5年目の命日が近づいてきた。あれからは毎年、正月が終わって近所の神社で厄投げという行事が行われる頃になると、訃報に接した日のことを思い出す。2016年1月8日、ボウイの69回目の誕生日に合わせて「Blackstar」が発表され、1月11日にその黒い星をあしらったCDが自宅に届き、とても楽しんで聴いていた真っ最中に訃報が届いた(命日は1月10日だけど、日本で報道されたのは11日の昼間だった)。そんなタイミングで、信じられるわけがない。日が沈んだ頃、呆然としながら近所の神社で行事に参加し、夕暮れの澄んだ星空をぼんやり眺めながら、ボウイの星は黒い星だから目には見えないんだなあ、というようなことを思ったのを覚えている。

2年前の今ごろ、当ブログに「Blackstar」についての記事を2つ書いた(1月8日1月10日)。そこでは、このアルバムをしばらく聴いていない、これから時間をかけて聴き込んでいこう、と書いていたが、あれから今日に至るまで、やはりほとんど聴けていない。最初に買ったCDを汚してしまったために買い直した2枚目は、今でも未開封のまま。同時代を強烈に生きるボウイにとうとうリアルタイムで追いつけたと思ったら、突然目の前から去ってしまって、黒々とした星だけが手元に残された、あの日のことが自分の中では今でも痛手として残っているようなのだ。ボウイの死の衝撃があのアルバムとあまりにも直接的に結び付いてしまって、触れたくない気持ちがある。いくら演出に次ぐ演出で華麗なるキャリアを築き上げてきたボウイとはいえ、こんなファンにとって酷な終わり方は決して望んでいなかったはずだ。亡くなった年にアメリカ出張に行ったときに買った「MOJO」誌2016年3月号のボウイ追悼特集で、トニー・ヴィスコンティが「Blackstar」制作時のボウイについて語っていた。

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見出しのとおり、ボウイ本人も周囲も、ボウイにはまだまだ時間が残されていると思っていたという。新しい治療法を試し、新曲を書き、次作アルバムのレコーディングについて話をしていたと。5年前のあの日は、訃報が届いたタイミングが完璧すぎて作為的なものすら感じてしまったが、もちろんそんなはずはない。誰にでも必ず訪れる死が、ボウイにはたまたまあの日だっただけ。今となっては、2016年1月11日のわずかな時間だけ、ボウイの死を知らずに「Blackstar」を楽しむことができた幸運に感謝するしかない。ここに刻みつけられた音楽は、正真正銘の素晴らしいものであることは分かっている。もうこの世にいない人たちが残した音楽を聴いていることの方がずっと多い自分も、「Blackstar」だけは、あのタイミングのいたずらのせいで聴けない状態がまだ当分は続きそう。それでも、もっと時間が経てば、いつか必ず再会できると思う。そのときは、あの日に付けてしまったワインの染みが残る1枚目ではなく、新しく買い直した2枚目の封を開けよう。

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「MOJO」誌に載っていた、生前最後の写真撮影でのボウイ。めっちゃ元気そうやん、と言いたくなってしまう。

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