David Bowie/George Harrison「Try Some, Buy Some」

2016年1月10日にデヴィッド・ボウイが亡くなって、今年で6年。自分が訃報に接したのは、日本時間では11日の午後だった。そのときはちょうど、1月8日のお誕生日にリリースされ、自宅に届いたばかりの新作「Blackstar」を楽しく聴いていた。たしか午前中にアルバム全編を最後まで聴き終わり、素晴らしかったからもう一度聴き直していたところだった。1回目に聴いたときにはピカピカの「新作」だったものが、2回目には突然「遺作」になってしまった。ボウイが死の直前に放った「黒い星」の意味を完璧すぎるタイミングで目の前に突きつけられ、ほとんど超常現象を目の当たりにしたかのような衝撃に打ちのめされる体験をした、あの日のことは一生忘れないだろう。

死の3年前、2013年に「The Next Day」が事前情報皆無のまま完全にサプライズの形でリリースされるまで、ボウイの新作アルバムは10年にわたって出ていなかった。活動休止前の最後に出た作品が2003年の「Reality」だったけど、実は自分はこれをリアルタイムで聴いていない。本作のツアーでせっかく来日までしてくれていたのに、観に行かなかった。自分はボウイのライブを生で観たことが一度もなく、今となっては本当に後悔しているのだけど、当時の自分には現在進行形のボウイを聴かないそれなりの理由があったのだろう。ロックという音楽ジャンル自体から自分の興味が一番遠ざかっていた時期だった。このアルバムでボウイがジョージの「Try Some, Buy Some」をカバーしていたことすら、ずっと後になってから知った。


このカバーにも不思議な逸話があって、この曲の作者がほかでもないビートルズのジョージであることを、レコーディング当時のボウイは知らなかったという。この曲はボウイの長年のお気に入りで、1973年のカバー集アルバム「Pin-ups」に入れることも考えていたらしいのだけど、ボウイが知っていたのは作者のジョージより先にロニー・スペクターが歌って、1971年にシングルとしてリリースされたバージョンだったそう。

(2022年1月13日追記:本記事を書いてからわずか3日後に、そのロニー・スペクターの訃報が。ロネッツのリーダーとして「Be My Baby」をはじめとする数々の歴史に残るヒット曲を放ち、フィル・スペクターの妻として受けた、命の危険を感じるほどだったという苦難を自力で乗り越え、ポップス界にとても大きな足跡を残したシンガー。どうぞ安らかに。)


ボウイは「Try Some, Buy Some」を「ロニー・スペクターの曲」として認識していて、カバーする段になっても作者がジョージだとは知らなかったというのだ。「Reality」が出たのはジョージが亡くなってまだ2年も経っていなかった頃で、ちょうどいい「無意識の」トリビュートになったよ、とボウイがインタビューで語っている。本人版が入っている「Living In The Material World」だってジョージの代表作のひとつだし、ボウイが知らなかったなんて本当にそんなことあるのか、と思ってしまうけど、そうらしいのだ。

2004年の「Reality」ツアー中にボウイは体調を崩し、それを契機に長らく活動を休止してしまう。2013年3月の「The Next Day」で再びバリバリに現役のアーティストとして復帰してくれたボウイに、リアルタイムで接することができた時間は3年に満たなかった。やはり2013年以後のボウイには、忍び寄る「死」を意識しながら、残された時間で自らのキャリアを総括しようという意思に突き動かされていたと思わされる切迫感がある。一方、2000年代初頭のボウイは、普及し始めたばかりのインターネットを積極的に活用しながら、軽いフットワークで活動していた印象が残っている。インターネットが未知の希望に満ちたメディアとして新鮮に迎え入れられていた時代。同時代の空気をまとって軽やかに行動する「Reality」当時のボウイが、その頃の自分には何だか「普通」すぎて少し物足りなく感じられたと思うのだけど、最後の最後に「Blackstar」という凄まじいものを受け取ってしまった今では、あの身近なナチュラルさがとても愛おしい。2003年、不思議な縁でジョージとつながって「Try Some, Buy Some」を歌うボウイに会いたかった。

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「Reality」スペシャルエディションのDVDに収録されているライブ映像でこの曲を歌うボウイ

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