つぐみ

雨の朝で日課の散歩に出られない。最近、散歩道でつぐみを見かけるようになった。色は茶色~グレー系で地味っぽいけど、お腹のところの水玉というか鱗のような模様が特徴。今朝もつぐみに会いたかったけど、雨の日は休む。つぐみはこんな鳥。(あきた森づくり活動サポートセンターHPより)

つぐみといえばスピッツ。年を取ると丸くなると人はよく言うけど、自分は加齢とともに気難しくなってきている気がする。図々しく、攻撃的にもなっているような。全然丸くない。良くない。スピッツのようでありたいと思う。彼らは自分より年上だが、年齢という概念を超越したかのような存在。TFCのジェリーのようだ。いや、若さ至上主義の話ではなくて、年齢は感じさせたって全然いいんだけど、スピッツは加齢に伴う前述のようなイヤさを感じさせない存在だと思うのだ。

息子がスピッツ大好き小学生になってしまい、車で習い事の送り迎えをするときなどによく一緒に聴いている。自分がスピッツを知った頃は「惑星のかけら」が最新作だった。一番好きなアルバムは「名前をつけてやる」。それをよく車でかけていたら息子が気に入ってしまい、しかも一番好きなのがタイトル曲だというから、自分も嬉しくなってしまった。地域の図書館で借りられるスピッツのCDは片っ端から借りて聴いた息子、現時点で一番好きなのは「インディゴ地平線」らしい。あの作品はリアルタイムで聴いて以来ほとんど振り返ることはなかった。「ハチミツ」より後、国民的スピッツになってからは、わりともういいや、という感じで気持ちが徐々に離れてしまった。でも、インディゴ地平線も「花泥棒」とか「渚」とか、改めて聴いてみると良い。息子は、「渚」のドラムが最初の抑えた演奏から展開して、どこんどこん勢いづいてくるところが好きだという。とても良いところを聴いている。

初期スピッツは、むき出しの出っ張りな言葉をあえて歌って全然下品に感じさせないというギリギリの線を走っていて、言葉に対する鋭い感覚にすごく惹きつけられた。「ロビンソン」あたりから国民的人気者になったスピッツは「愛してる」「せつない」など、Jポップ的に耳当たりのよい言葉を積極的に使うようになった。でも「つぐみ」の歌詞を見ると、マーケティング上の理由で「愛してる」と歌っている風にはまったく思えない。やっぱり言葉に対してとても真摯なのは変わっておらず、確かな必然性があって「愛してる」を使っている。「愛してる この命 明日には尽きるかも」こうやって一節を書き写しているだけでちょっと泣けてくるものね。30代までは、いくら心が動いても泣くことはめったになかったけど、加齢とともにかつてよりは涙もろくなってしまった。同じアルバムにはもうひとつ「花の写真」という曲があって、これが自分の涙が出るツボを強く押してくる。歌詞が描く世界だけでなくて、ヴォーカル、演奏、コード進行、編曲、すべてが完璧に融合して、すべて一体となって、「大事な君に 届きますように」という気持ちをリアルに表現していて、ああ、やはり泣けてくる。

「つぐみ」「花の写真」が入ったアルバムは2010年に出た「とげまる」。息子のおかげで最近またよく耳にするようになったけど、これは前から好きだった。名曲が揃った良いアルバムである。TFCと同じ頃にデビューした彼らはメンバーチェンジを一回もしていない。音楽性が大きく変わったりもしていない。それでいて、長年かけて築き上げた世界にふんぞり返って安住したマンネリズムを感じない。ほんとは2016年の最新作「醒めない」も聴いてからこの記事を書きたかったけど、実はまだ聴いてない。でも間違いなくこれも良い作品だろうというのはわかる。デビュー20年で「とげまる」が作れるバンドは無敵である。やっぱり、自分はスピッツになりたい、ひそかに。

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昨日の朝に撮った、花の写真。空気は冷え込んでいたが、少しずつ確実に、春は来ている。

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