心はオープン/目はクローズ

現在暮らしている地域は小さな街で、朝の散歩中に人と行き交えば見知らぬ人でも「おはようございます」と挨拶をしてくれることがある。これは気持ちのいいものなので、こちらからも挨拶をするようにしている。山のほうの通り道にあるお宅のおばさんがよく家の前の掃除などをしていて、挨拶をするうちに顔見知りになって、時々ちょっとした会話をするようにもなった。自分にしてはすごいことだ。東京で暮らしていた思春期に、街に出ると軽い被害妄想に悩まされていたせいで、見知らぬ他人との接触を極力避ける行動を取るようになった。自分の悪口を言っている(ように見えた)人々の顔を見ないように、声が聞こえないように、周囲にバリアを張ることで自分を守ろうとした。そんな姿勢が身体に染みついてしまって、未だに周囲に対する態度に無意識のうちに出るときがあるので、おっと、もう今のおれは違うのよ、もっとオープンマインドになろうぜ、と自分に言い聞かせる。人間はオープンな方が絶対に良いのである。

思春期の頃と違って、今はネット時代。東京に出ると電車の中では誰もがスマホを眺めていて、何かしらSNSの画面をひょいひょいスクロールしている。情報がどんどん目に入ってくる。何でもかんでも。自分は理系大学の情報系学科にいたので、90年代前半の黎明期からネットに触れている。授業の演習ではじめてクラスメイトとEメールのやり取りをして、同じ部屋の中にいたのに、お互いの端末にメッセージが届いたことにものすごく興奮したのを覚えている。あれから25年は経ったが、自分は今でもネットとうまく付き合うことができない。いわゆる「スルー力」に欠けているのだ。見たくない、知りたくない情報が目に入ってきたとき、心をやられる前にフィルターやブロックをすることができない。そのたびにぐらぐら揺さぶられたり、ぐっさり刺されたり。微妙に嫌な言葉が心に日々蓄積していき、蝕まれる気分になったり。自分は一日中パソコンに向かう生活なので、起きている間はほとんど常時ネット閲覧可能。ずっと仕事ばかりに集中してはいられないので、何らかのサイトをちょくちょく開いては仕事と行ったり来たりする。そんなときに、見たくない情報が不意に目に入ってこないように自衛するしかない。ここで毎日のようにとりとめのない文章を書くようになったのも、そんな自衛策のひとつなのかもしれない。自問自答しながらオフラインで書いているので。散歩や、春になれば庭仕事もネットから離れられる貴重な時間。手の届くところにお菓子があればつい食べてしまうように、余計な情報を目に入れてしまわないように、最近は本当に気を遣っている。心はオープン、目はクローズ。

夜にレコードを聴く時間も本当に大切。一日の作業が終わったらパソコンの電源を急いでパチンと切り、レコードをかけ、紙の本を読む。本を読まないときは部屋を暗くして音楽に集中する。そのまま椅子で寝落ちしてしまうこともあるけど、布団に入っても眠れないよりはまし。そんなときに聴く大事なレコードのひとつがニール・ヤングの「Everybody Knows This Is Nowhere」。CDで最初に聴いてから30年になろうかという作品だが、近年はパソコンに入れた作業BGMとして、シャッフルでバラバラの曲として聴くのがほとんどだった。このアルバムには「Cinnamon Girl」はじめ、ニールの代表曲がたくさん入っているけど、そんなメジャーな曲に挟まれた「Running Dry」とか「Losing End」みたいな地味な曲が、燦然と輝く代表曲からの流れで聴くとまったく違って聞こえる。すごく心に入ってくる。アルバムをアルバムとして聴くのは、当たり前だけど忘れてはならないとても大事なことで、PCで音楽を聴く時代になってからはおろそかにしすぎていた。バイオリンがむせび泣く「Running Dry」を流しながら灯りを消した部屋で寝落ちなんて、真っ暗にも程がある気もするけど、自分は「暗さ」というものを否定したくない。暗いことだって素敵じゃないか。

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駆けずり回るだけのその日暮らしから抜け出さなくちゃ/みんなほんとは知ってるんだ、ここにいてもどうにもならないって

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