春にやってきて、春に行ってしまった

昨日の早朝、老猫様は旅立っていった。前の晩から自力で歩くこともままならず、衰弱がひどくなっていた。そんな状態でも、ビンチョウマグロのお刺身を湯がいてすりつぶしたものをあげたら、すごい勢いでがつがつと食べた。あれが最後の食事になった。あのマグロを食べる姿は今後ずっと忘れないだろう。その夜じゅう同じ部屋で寝て、早朝いつも起きる時間に目覚めたらまだ息はあったけど、もう立ち上がることはなく、自分が起きてくるのを待っていたかのように息を引き取った。臨終の直前に、早足で走るように後ろ足をばたばた動かした。安らかに眠るような最後、ではなかった。目を見開いたまま、走るように去って行った。まったく文句なしに老猫様らしい最後だった。21歳まで生ききって、最後の姿も凄かった。生ききって亡くなったので、見送ったこちらも悲しさやつらさをそんなに感じない。お別れの覚悟をする時間を十分に与えてくれた。こちらもお世話しきった。ありがとう。

亡くなってからも、見開いた目を閉じさせようとしたが閉じなかった。まるで生きた様子に作った剥製みたいな亡骸になった。大きなガラス玉みたいに透き通った、とても美しい目を持った猫だった。美猫中の美猫だった。それを自覚していたようで、元気だった頃は隙あらばちょっと離れた場所でスッとモデル立ちをして、「わたしを見て」オーラを放っていた。そんなに何度もアピールしなくても、あなたが美猫なのはほんとにもうよく知ってるよ、と言いたいぐらいに。臨終を看取ってから、咲き始めた庭の花を取ってきて亡骸に供え、投票日だったので投票所に行くついでに近所の公園に散歩に出た。近辺では知られた桜の名所で、出店も並んですっかりお花見モード。そんな公園に出ても心は1ミリも浮き立たない。前回記事に書いたとおり桜が満開の日に出会い、お別れの日も桜が満開。春にやってきて、春に行ってしまった。老猫様の名前は、春ちゃんだった。

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しかしこの記事はここで終わりではない。昨晩は庭の花で飾った春ちゃんをかたわらに置いて、お酒を飲みながらドヴォルザークの「新世界より」のレコードをかけていた。新しい世界に旅立っていく春ちゃんと「家路」が聴きたかったのである。聴いているうちにいつの間にか居眠り。まったく自覚なしに眠りに落ちてしまったが、突然、けたたましく火災報知器が鳴り出して目が覚めた。まだ朝晩は冷えるので灯油ストーブをつけていたのだが、そのストーブから黒い煙がぼうぼう噴き出していた。慌ててストーブを消して換気。火災報知器が鳴っていなかったら、危なかった。居眠りしたまま、真っ黒い煙に巻かれてあの世行きだったかもしれない。アラジンという昔ながらの型式のストーブだが、今までそんな問題が起きたことは一度もなかった。芯がダメになっていたのかもしれないけど、原因はよくわからない。……もしかして春ちゃん、あの世でもお世話をさせようと、自分を道連れに……いやいや、まさかそんな。自分は来月で47歳になるが、その倍は生きるだろうと思っている。あの世で会えるのは47年先になるかもしれないし、ことによると明日かもしれない。どちらにしても、それまでお世話はできないけど、春ちゃんを忘れることは絶対にないから。居眠りしたまま春ちゃんと一緒に行ってしまうのも、まあ悪くはなかったけど、まだまだこちらでやれることをやらせてくれ。

ハンク・ジョーンズとチャーリー・ヘイデンによるジャズ版「家路」、こちらも本当にしみじみ素晴らしい

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