6フィートの穴は掘れなかった

老猫様は親族宅のお庭に埋めさせてもらった。ここから車で1時間ほどの場所にある山麓の別荘地に家を建てて長年暮らしていて、かつては旅行や留守番のために老猫様と相棒猫をたびたび連れて行ったことがあった。林の中なので鹿やイノシシが庭を通ることもあるようで、お墓を掘り返されることを親族は心配していたが、なるべく深く穴を掘って埋めることにした。火葬は嫌だった。行ったこともないペット火葬場に老猫様を託して骨と灰になって返されるなんてお別れの仕方は、できることならしたくなかった。亡くなった姿のまま剥製にして、お花で飾ってずっと家に置いておきたかったぐらい。小さいながら存在感のある猫だった。声が大きくて、色々な言葉をしゃべった。自分はしょっちゅう老猫様に叱りつけられていた。明け方に自分の布団にやってきて執拗にご飯を要求し、それでも目覚ましが鳴るまではこちらも布団をかぶって無視を決め、起きたらまず「早くご飯用意しなさいよ!」と怒られながらフードの支度をするのが毎朝の日課だった。自分の生活の一部だった。かなり大きな。

先日訳詞を載せたジョン・レノンの「Nobody Loves You」の最後の歌詞は「Everybody loves you when you’re six feet under the ground」だった。6フィートの深さに埋められるというのが埋葬を意味するのは明らか。それを思い出しながら穴を掘っていた。しかし、いくら小さな猫を埋めるとはいえ、手掘りで6フィート、約1.8メートルもの深さに地面を掘ることはできなかった。その半分ぐらいがせいぜいで、硬い岩のようなものに突き当たって先に進めない。

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土を深く掘ると、水がしみ出してきて土が重くなった。大地は、森林は、こうやって雨水を地中に溜め込んで木々に供給しているんだなあ、と思った。土と雨と日光と植物と動物で森の生態系はめぐりめぐっていく。老猫様も時間はかかるだろうがうまく土に還ってほしい。石灰を撒くと分解や殺菌に良いらしいのでホームセンターで買ってきた。むかし観た映画「アマデウス」でも埋葬シーンで石灰のような白い粉を撒いていたのを思い出した。自宅の庭から持ってきたハナカイドウと、親族宅のお庭に咲いていた白い水仙を供えて、土を埋め戻した。これで老猫様ともとうとうお別れだ。

土を掘ったときに出た大小の石ころを3つ、何となく老猫様の顔に似た形に並べて、お香を立てて、お祈りをした。親族が教会のものであろうお祈りの言葉を唱える。アーメン。自分はアーメンと唱える気にはなれなかった。どうしてこういうときにだけイエス様が出てくるんだ。仏様でも、神道の神様でも自分はそう思っただろう。ああ、自分が祈りたいのはそんな神様でなしに、たったひとりの本当の神様なんです、と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる台詞みたいなことを思った。

老猫様が亡くなって、悲しみに襲われたりはしていない。涙はまだ一滴も出ない。老猫様の死とばっちりタイミングを合わせて満開になった桜は、早くも散り始めた。庭の花たちも次々に咲き始めて、どんどん春めいてきた。世間はこれから10連休と改元でお祭りムードだろう。自分は庭の花を見て、綺麗だな、元気に育って良かったな、とは思うものの、嬉しさという感情がまったく湧かない。桜を見ても、何を見ても。せっかくこれから待ちに待った園芸シーズンが始まるのに。いま、心のどこかは確実に壊れてしまっている。

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