喪服はいつでも綺麗にしておかなければならない

今日は喪服を着た。数年前の祖母の葬儀のとき以来である。老猫様のためではない。伯父が先月亡くなり、葬儀には出られなかったのだが、都内の霊園で行われる納骨式に呼ばれたので参列してきた。伯父はクリスチャンだったので牧師さんが来て、お墓の前で説教を聞き、賛美歌を歌った。今週は偶然にも、弔いの場に臨んでクリスチャンの祈りの言葉を聞くことが2回続いた。今回は自分も伯父のために、親族一同とともにアーメンと言った。亡くなった伯父は、弟である父とは一時期絶交するなど複雑な関係だったようで、自分が伯父と接した記憶はあまりない。牧師さんの説教を聞きながら、申し訳ないけど老猫様のことばかり考えていた。

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死の後に何が待っているのか、明確な答えは生きているうちにはわからない。天国や涅槃に行けるのか、裁きを受けて地獄行きか、輪廻転生してこの世に舞い戻るのか、それともまったくの無になるのか。特定の宗教を信仰していない自分には何とも言えない。答えは最後に、なのである。確かなのは、少なくとも生きている限り死者とこの世で会うことはもうできない、お別れである、ということだけ。老猫様は先週までこちらにいたのに、もう覆しようのない圧倒的な事実として、息を引き取った時点でお別れになってしまった。どこかから老猫様の鳴き声が聞こえたとしても、それは気のせいなのである。老猫様のご飯がまだ冷蔵庫に入っているけど、若い同居猫は決してこれを食べないので、もう捨てなければならない。こういうお別れが、生きている限りは避けがたく続くのだ。ただ、この世では会えなくなっても、心の中で永遠の命を持って生き続けている存在は確かにある。ジョージはそうだ。21年間、これまでの人生の半分近くを一緒に過ごした老猫様も、きっとそうなる。

納骨式の後の昼食で父は、兄のお骨がお墓に納められるのを見て、今度は俺だなと実感した、と語っていた。そうかもしれないが、実際には今度が誰なのか、いつなのか、誰にもわからない。幸いにも喪服を着る機会はここ数年なかったが、不慮の事態がいつあるかわからない。普段きちんとした服装とは縁がない自分だが、喪服は予想外のときでもすぐに着られるように、いつでもぱりっと綺麗にしておかなければならない。20年ほど前に親族のひとりが突然亡くなってしまったとき、そんな当たり前のことに実感として気づいた。ほんの少し前に親族一同が集まる席で一緒にビールを飲んで、すこぶる元気そうな姿を見たばかりだった。自分も居眠り中のストーブの不完全燃焼で先日危ない思いをしたばかり。死はとても遠くにあると同時に、すぐ隣にある。
納骨式で歌われた賛美歌のひとつは312番「いつくしみ深き」だった。同じメロディで「かがやく夜空の 星の光よ」と歌い出す唱歌にもなっていて、たぶん誰でも知っているメロディ。英語の題名は「What a Friend We Have in Jesus」、ハンク・ジョーンズとチャーリー・ヘイデンが、アルバム「Steal Away」で賛美歌メドレーの中の一曲として取り上げている。このアルバムは前にビートルズのルーフトップ・コンサートについての記事を書いたときにちらっと触れた、自分にとって本当に大切な一枚。今夜はこのアルバムを聴きながらこの記事を書いた。全然うまく書けなかったけど。

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