置き石:何かが引っかかる

連休中、いわゆる「人身事故」で新幹線が止まったというニュースが公共放送局のニュースサイトに載っていた。見出しは「男性はねられ死亡 連休の新幹線また止まる」、乗客の話として「あす仕事 早く帰りたかった」「連休にこういうこと 困る」。

ああ、せっかくの楽しい連休旅行が台無し。何も連休中に新幹線に飛び込まなくてもいいのに。こういうこと、困る。連休の新幹線「また」止まるという見出し。亡くなった男性は、この記事では誰かがいたずらで線路に仕掛けた「置き石」と同等の存在。その彼は楽しい連休の邪魔をしたくて、人々の困る顔が見たくて、愉快犯で新幹線に飛び込んだのだろうか。もちろん、そんなわけがない。自分が死んでしまっては、困っている人々の顔など見られない。心の病で苦しんだ挙げ句、死ぬことしか考えられなくなってしまったのだろう。連休を楽しむ人々など眼中になかったはず。そうわかっていても、連休を邪魔された人々は「置き石」を見る目で彼を見る。きっと自分だって、乗客の立場だったらそうなっただろう。

鉄道自殺を言い換える「人身事故」という言葉。自分はできれば使いたくない。都会で暮らしていれば「人身事故」による列車の遅れは日常茶飯事。いちいち亡くなった方の苦しみに思いをはせている場合じゃない。会社に、学校に遅れてしまう。毎日のことだもの。自分も都会で暮らしていたことがある。人々がひしめく場所での暮らしはある意味、冷酷なもの。仕方のないことだと思う。すべての死に悲しんではいられない。誰か発信力のある人が必死に病と闘う様子には涙するが、他の知らない誰かがやらかした「人身事故」には舌打ちをする。人によって生命に軽重の差があるかのようだ。いや、明らかにある。そのことを糾弾するつもりはない。そこまで無自覚な偽善者じゃない。まったくキリストでも何でもないので、関係のない万人の苦しみなど引き受けられない。でも、何かが引っかかる。

先月で没後25周年、なんだってね

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