耕さない園芸を始める

借家の小さな庭で自分の植物を育て始めて今年で4年目。玄関への通路の脇にある狭いスペースで、大家さんが元々植えていた樹木の合間を縫って、ちまちまと栽培している。あまり菜園向きとは言えない過密気味の庭に、日当たりの良い小さなスペースを見つくろって、最初はそこの土を耕すところから。意外とたくさんの大きな石がゴロゴロと入っていたりして、取り除くのが大変。手にマメを作りながら頑張った。そうやって植物を育て始めて年月が経つと、歴史の積み重ねができてくる。前年に育てていた植物の続きが意図しない場所から芽吹いていたり、予期せず盛大に育っていたりすると、そこに大きな喜びを感じるようになった。今年は庭のどこで何を育てよう、と大ざっぱな計画を立てたりもしていたが、そんな人間の意図と関係なく植物の側から出てきてくれるようになって、そちらに任せる「受け身」の園芸が楽しくなった。そして、雑草という草はない。せっせと草むしりをするよりも、色々な草と一緒に作物も育っていく、無精なごちゃごちゃした庭の風景に愛おしさを感じる自分に気づいた。

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なにかいいものが出てくるはずだからまいてみなさい、と去年もらった種をまいてみたら、紫の小さな可愛い花が咲いた。たしかにいいものだった。その種がこぼれていつの間にか育ち、去年と同じ花を咲かせているのを今日はじめて見つけた。花を咲かせるまで気づかず。一昨年から育てているローズマリー、去年からの小松菜と、ごちゃごちゃ生えている庭の片隅。テントウムシの姿も。

先日、そんな無精で受け身指向の自分にぴったりの本を図書館で見つけた。有機無農薬は言うまでもなく、無耕耘、無肥料で作物を育てるという栽培法を実践している方の本だった。無耕耘、すなわち土を耕さないでそのまま作物を育てているのである。その方も最初は普通に肥料や農薬を使い、土を耕して農業をしていたが、どうしても病害虫に悩まされてしまう。しかし何も手を加えていない自然のままに草が生え放題の場所で、こぼれ種からいつの間にか育っていた大根が立派にできて、病害虫も出ず、これはどうしたことだ、と色々実験してみた結果、たどり着いた栽培法だという。

病気も害虫も、人間が土を耕し、肥料、農薬をまき、自然のバランスを崩した不自然な環境を作っているから発生するという。これは自分の庭でも覚えがあること。ベランダでプランター栽培している植物にはアブラムシがたくさんついて取り除くのが面倒なのに、庭に地植えしている同じ植物はまったく手がかからない。アブラムシの天敵、テントウムシが食べてくれているのだ。昆虫に居着いてもらうには、雑草、いや、自然に生えてくるほかの植物が必要。そう、雑草という草はない。そして、前年のこぼれ種から自然に芽吹いてきた植物がたくましく成長する姿も、毎年目の当たりにしては感激している。

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耕さない庭でこぼれ種からたくましく育った植物の代表、パクチー。例年、今ごろはわさわさと大きく育ってこんな可愛い花を咲かせるのだが、今シーズンは全然出てこなかった。これも植物の思し召しなのであろう。

そして、生育に良い土も植物や昆虫、微生物が自然にちゃんと作ってくれている。人間が手を入れてその環境を乱すことはなるべくしない。いわゆる雑草でも根こそぎ抜いたりはせず、根の周りにいい塩梅に作られている土壌を生かす。シーズンが終わって作物が枯れても、作物からこぼれた種、鳥や虫が運んだ種がまた発芽して、自力ですくすく育っていく。人間はその自然の営みをなるべく邪魔せず、最小限の手伝いをして、あとは見守るのみ。……こんな栽培法がその本には書いてあったのだ。まさに、これだ!と思った。自分がおぼろげながらやりたいと思っていた植物との付き合い方。こちらが立てた計画どおりに土を耕して植物を従わせるのでなく、植物のほうから自力で生えてきたものにこちらが従う。先の計画を立てて行動することが苦手な自分にぴったりすぎる。とはいえ、限られた自宅の庭のスペース、あまり草ぼうぼうのままにしておくわけにもいかない。さまざま試行錯誤はあるだろうけど、耕さない園芸、やれる範囲で取り入れていくつもり。近所の人たちには、庭の手入れをサボってるだけだと思われるだろうけどね。いや、サボりの要素も、決して否定はしない。

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お隣の庭からこぼれて発芽してきたコスモスを集めたミニコスモス畑。今年も発芽し始めているのでやるつもり。

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