何かが引っかかってほしい

先月の10連休中、「人身事故」のために新幹線が止まってあからさまに迷惑そうな乗客の声を紹介するニュース記事を読んで、非常にもやもやとしたので「何かが引っかかる」という記事を書いたのだが、いま世間が騒然としているニュースでも似たような感じにもやもやとしている。先月の登戸での殺傷事件があって、息子が同じようなことをしでかすだろうと思い「周囲に迷惑をかけてはいけない」と父親が殺してしまった、と報じられた事件。果たしてそんな理由で親が子を殺すだろうか。これは本当の理由というより、息子殺しを正当化するための(自分自身に対する)言い訳だと思った。息子の家庭内暴力で長年苦しんでいたらしい。家庭の内部のことは外部にはわからないが、もしその事件が影響を与えたとするなら、迷惑うんぬんより、登戸事件の容疑者に対する「死にたいなら一人で死ね」という声のほうが大きいのではないか。元々家庭内の親子関係で追い詰められている状況で、息子と似たように見える人物が大きな事件を起こして、彼に対する「一人で死ね」の大合唱が起きた。「生きてほしかった」なんて誰も言わない。息子が同じような事件を起こしたら、苦しんできたその家庭に世間は絶対に同情などするはずもない。全力で叩きのめしにかかるだろう。父親は絶望をさらに深めたのではないかと想像する。

自殺するなら一人で死ね。子供を巻き添えにするなんてひどすぎる。それは本当にもっともなことだ。自分だって小学生の親だ。自分の子供を殺されてしまったら、一人で死ね、どころかその犯人をこの手で先に殺してやればよかったと思うかもしれない。しかしそれは当事者だったらの話。事件、事故、災害といった、あまりにも大きな悲劇の当事者に成り代わって、公に何か言おうとする人が多すぎる。そんな立場に成り代わることなど、できるわけがない。傍観者でしかありえない自分は、加害者の人生のことも考えてしまう。どんな人生を過ごしたら、あんなことを計画して実行するまでに至るのか。小中学生時代の姿や文集に書いていた言葉がニュースで公開される。自分の息子とそんなに変わらないように見える。

罪のない子供を殺した犯人が憎い。死にたいのなら人様に迷惑をかけずに、一人で勝手に死ね。あまりにやりきれないニュースに接して、そう思ってしまうのは無理もない。しかし、思ったとしてもそこはせめて、黙っていられないのかと思う。ましてや、父親に殺されてしまった息子さんのことまで色々と晒して、この人物もたいがいだよね、殺されてもしょうがないかも、なんて空気が醸成されていくのは、さすがにちょっと待て、と思う。もうちょっと何か色々、引っかかってほしい。

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