試し試されて生きるのさ

大学で期末試験を受ける夢を今でも定期的に見る。二晩連続で見てしまったのでこの記事を書いている。講義にほとんど出席しなかった科目でまったく準備もせずに試験本番を迎え、何もわからない、どうしよう、となるパターンが多い。大学時代に真面目に学業に励まなかった報いである。今回立て続けに見た夢、第1話は一応ちゃんと試験を受けていたのでまだ良い方だったが、昨晩の第2話は試験があることすら知らず、ふらりと教室に入ってみたら試験の真っ最中だった。何も準備していないどころか筆記用具すら持っていない。しかも残り時間が10分しかない。とりあえず空いている席に座ろうとしたら、学生のひとりが黙って試験の問題用紙を差し出してくれた。そこには回答が書き込んであって、これを丸写しして急場をしのげという心遣いだった。何という親切なお人だろう。でも自分は、いいよ、大丈夫だから、と受け取らなかった。出席すらろくにしていなかった科目、試験問題に答えられなくても自業自得である。そんな憐れみをほいほい受けて、ズルして乗り切る気にどうしてもなれなかった。夢なんだからつまらぬプライドなど捨てて適当にやっとけばいいのにと思うが、そうこうしているうちに目が覚めた。ああ夢だった、夢で良かった、とホッとするところまでがセットである。


昨晩寝る前に聴いていたCD。めそめそ泣くのはやめろ、プライドなんて飲み込んでしまえ。死にはしないさ、毒じゃないんだから。

大人になっても、日々、何かしらの試験を受けている、試し試されている、そんな気がいつもしている。何を試されているんだろうか。仕事では納品物の品質を試され、あんまりダメだったらやり直しを命じられるし、たまに新しい客先に採用してもらうための試験を受けることもある。そういうのに受かったり、たまに褒められたりすれば張り合いになるし、ネガティブな結果になればそれなりに落ち込んだり反省したりする。仕事ではこうやって試されることも必要なのだが、ほかにも日常的に諸々の小さなことでいちいち自分を試しの場に置いている気がしている。そうやって他者や自己からの評価に小さく一喜一憂するばかり。もう少し確固たる居場所を築いて、揺るがない自信を持ってどっしりと落ち着けないものかと思う。

当ブログは先月で一年間コンスタントに続けることができて、「お前はブログをこの形のままで一年続けられるか」という自分からの試しに受かった気がしている。先月から、何というかバッジをひとつ手にした気分なのだ。ただただ思い浮かんだことを文章に書いては投稿するだけ。アクセスを稼いで金儲けしようというわけでも、お役立ち情報を発信しようというわけでもない、ましてや歴史が動いたりなど1ミリもしない、ただ継続することだけが目的のブログをこれからも継続していく。

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