言論の自由

臨時休校が始まって一週間。息子はおおむねウキウキとした様子で過ごしている。日頃から学校が大嫌いという様子でもないのだが、やはり基本的に休みが長くなるのは嬉しいようだ。学校は整列とか支度とか余計なことにたくさん時間を使うから面倒くさい。友達と遊ばなくても漫画が好きなだけ読めるし、部屋で遊べるものがいくらでもある。自分だって小学生の頃は同じようなことを思ったに違いない。

近ごろ、全国ニュースはまったく見ないことにしているのだが、地元新聞の記事だけは見ている。先週、臨時休校が始まったときには、突然早すぎる春休み入りになった県内小学生たちの声が載っていて、どの子も一様に、学校が大好きなので寂しい、友達と遊べないのはつまらない、という至極真っ当なことを話している。小学生時代の自分だったら絶対にそんなふうに思わなかったし、目の前の息子もあんなに楽しそうである。そのことについて息子に聞いてみたら、本当のことなんか言えないよ、先生に怒られるから、という答え。なるほど、言えばにらまれる、というわけか。考えてみればそうだよな。学校が休みになってヘラヘラと喜んでいるところが新聞記事に載ったらどうなる。先生は悲しみ、親だって情けないと嘆くかもしれない。子供なりの忖度というものがあるんだな、と思った。もちろん、心から学校が大好きで、友達に会えなくて本当に寂しがっている子たちもたくさんいるだろうけど。

子供は自由な存在だと思いがちだが、教師や親という大きなプレッシャーのもとで暮らしている。子供は何のしがらみにも縛られず、思ったことは何でも天真爛漫に表現できる、なんて嘘なのだ。それは不自由なもの、かもしれないが、自分が小学生だった頃は、大人に演出される「自由」「純真さ」に嘘くささを感じて、居心地の悪い思いをしていたことも思い出した。子供が本当に「幼稚」なのは物心がつく前までで、小学校に上がるぐらいまでにはもうはっきり覚醒している。自分も一番鋭かったのは7歳ぐらいの頃だったと思っている。以後はただただ鈍る一方。ほかの子たちもおそらく似たようなもので、大人の要請に応じて「素直な純真さ」を演じているところがあると思う。それもまた、不自由なもの。

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初期のRCサクセション、ハードフォーク期のライブ盤「悲しいことばっかり」より

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