ソーシャルなディスタンスをキープせよ

例の騒ぎが本格化して一ヶ月以上、一日たりとも心の安まる暇がない。比喩的表現ではなくて、本当に一日も気が休まらない。一難去ってまた一難、次から次へと心配事が降りかかってきて、対応に追われるばかり。こうも余裕がないと心の中の優先順位がはっきりとしてくる。一個の生命体としての自分自身など、本当に二の次三の次。要するに「死にたくない」とかそういうことより、家族、親族、大切な人々、自分の周囲が無事であることと、自分がうかつに世間に迷惑をかけないこと。大事なのはこれだけ。人間はまさにソーシャルな生き物だと実感する。当ブログが「宇宙でひとりぼっち」を標榜しているのは、ネット上でこの真逆の世界を作りたいからにほかならない。ソーシャルメディアの時代、つながりたくないものだろうと何だろうとつながってきて、ソーシャル要素が24時間いつでも心の前面に絡んでくることに疲れてしまい、距離を置いた世界を作りたかった。今流行りの言葉で言えば、ソーシャルディスタンシングである。

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WWF提供画像によれば、2ペンギン分のソーシャルディスタンスが必要

自分は本来ならマスクなんか嫌いだが、最近は散歩や買い物に出るときに布マスクをするようになった。普段から人が少なくて、外をうろうろ歩いていても自然と物理的ソーシャルディスタンスがキープされるような土地だが、外出自粛の東京から逃れた人々が地方のスーパーに列をなす「コロナ疎開」が取りざたされる時節柄、地域の人々に自分は「東京出身の人」ということで色眼鏡で見られているのではないか、とどうしても思ってしまう。自分で勝手に忖度しているだけだが、マスクをすることで「気を遣ってます」感を出さなければ、自分の気持ちが落ち着かなくなってしまった。自分の身を守るというよりは、ソーシャルな意味合いが強いマスクである。医学的にちゃんとしたマスクなど今は手に入らないし、本当に必要な人たちに十分に行き渡るべきだ。布マスクなんかしても医学的意味は大してないのかもしれないし、実は意外とあるのかもしれない。とにかく、気持ち的にはだいぶ違う。感染症って本当にソーシャルなものである。

こう余裕のない状況では、それぞれが自分のいる場所で、置かれた状況に対応して、最善と判断した行動を粛々とやっていくしかないし、精一杯やっているつもり。それなのに、よその場所から色々と言ってくる人たちがいる。あいつら何もわかってないから、ちょっと言ってやらなきゃダメだ、という本当に大きなお世話。たった今もやられたのだが、これも相当なストレス。どうか、自分たちの世界で、自分たちのことに集中してほしい。心配してくれるのは有り難いけど、忠告とか何も言ってくれるな。戦いは自分の持ち場で、各自。これもまた、今お互いにとても必要なソーシャルディスタンスだと思う。

麻雀も今はやめといたほうが良さそう

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