ガンダムの「生みの親」が語る戦争(2020年8月15日東京新聞)

自分はいわゆる「ガンダム世代」に属する。小学生男子だった頃は普通にテレビで初代ガンダムの放送を見ていた。作中に登場するモビルスーツの絵をよく描いたし、ガンダムのプラモデル、略してガンプラを作った記憶もある。ガンダムマニアにはならなかったが、それなりに影響を受けた。そのガンダムの生みの親たちが戦争について語る、東京新聞の記事を読んだ。75年目の終戦記念日、今年の8月15日付けの記事。

ガンダムの「生みの親」が語る戦争「ミリタリーは妄想、かっこよくない」「小さき者の視点、自覚を」

テレビでガンダムを見ていた小学生当時、自分はアニメで描かれていたという「戦争のリアリズム」を感じ取れるほど精神的に成熟していなかった。モビルスーツや戦士たちのかっこよさに惹かれるだけだった。あれはミリタリーのかっこよさではなく、民間人が容赦なく巻き込まれる戦争の非情さを描いたのだ、と作者たちに言われてもピンと来ないところはある。それでも、いやそれだからこそか、ガンダムの生みの親たちが語る戦争論を食い入るように読んでしまった。自分は、両氏が語ることに全面的に賛成する。特に同感する発言を記事から引用する。

まず、キャラクターデザインの安彦良和氏の言葉。

 一九九〇年代、ソ連崩壊とユーゴスラビアの内戦は衝撃だった。歴史は進歩せず繰り返してしまうんだ。われわれは基本的に愚かなものなんだ。愚かでしかありようがないんだ、と。
その中で正気を保つためのてこになるものは、宗教、大義、愛国心といったものではない。戦いに巻き込まれる「小さき者」たちの視点に心を寄せ、自分自身を小さき者として自覚すること以外にないのではないかと思う。小さき者がどれだけ影響を受け、どういう状況に陥るかが見えなくなった時、人間は間違いを犯してしまうのではないか。

自分が同じような衝撃を受けたのは、21世紀に入ってから、911テロの報復としてイラク戦争、アフガン戦争がその当時は圧倒的に正しいこととして遂行され、自分がいくらそれは間違ったことだと思っても、止めようもなかったこと。これは、あの時代を生きた「小さき者」の一人として、自分の中に痛恨事として一生残る。本当に、歴史は進歩せず繰り返す。人間は愚かだ。それでも、過去に学んで少しずつでも成長することはできるはずだ、というのが自分の基本的な考え。

そして、原作・総監督の富野由悠季氏。

 ミリタリー(軍事)というのは、半分くらいは一般人の考える「かっこいいもの」で妄想。でも、かっこいいことなんて一切ない。戦争はやっぱりあっちゃいけない。しかし、戦争に憧れる人類の妄想があるために、戦争がなくならないという不幸な現象がある。

ミリタリーはかっこよくない。戦車は、戦闘機は、銃器は、人間の身体を踏みつぶしたり、焼き尽くしたり、頭や手足や内臓を吹っ飛ばしたりするためのもの。そんな状態になった人体を直接この目で見たことはないけど、想像することはできる。とても恐ろしいことだ。前にも書いたが、自分はインド・カシミールで99年にカルギル紛争が発生した当時、パキスタン軍と戦争をしに行くインド軍の戦車の行列を見た。その隊列をVサインで見送る住民たちを見た。これらの光景を、「かっこいいもの」だとはひとつも思わなかった。あの兵士たちの何人か、何十人か、もしかしたら何百人かは、戦場で身体を破壊され、大量の血を流し、その場で死ぬかもしれない。助かったとしても、手足を失った不自由な身体で残りの生涯を過ごすか、身体は無事でも精神を破壊されるか。国を守るために我が身を犠牲にする「英雄」たち。だけど、人間は対話と交渉ができる生き物だ。血を流さなくても、本来なら人間は話し合いで互いの平和を守ることができるはずだ。軍事力で国を守る「英雄」への憧れを、自分は今ひとかけらも持っていない。富野氏が言うように、軍事がかっこいいなんて妄想だと思う。高度な頭脳を持っているはずの人間同士の交渉で、握手で、平和が守れた方が何万倍もかっこいい。

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