宇宙でひとりぼっちを目指して25年

1995年の9月に、春に入学したばかりの大学院をやめることにした。2020年の今月で、大学院をドロップアウトしてからちょうど25周年だと今気付いた。それ以降、フルタイムで学校や組織に所属したことは現在に至るまでない。

大学院をやめてから具体的にどうやって食べていくか、明確なプランはなかった。ただただ、これ以上続けても仕方がないと判断したのでやめた。新しく進むと決めた道の基礎を学ぶため、専門学校に通うことにした。というより、大学院で新入生として研究を始めようという頃に、その専門学校で講師をしている方が一度だけ講義にいらした。すでにその頃から、理系大学院で研究者の道に進むのは自分にどうしても合わないし、進むべき道はこれではない、と悩んでいたのだが、講義資料に書かれたその方の経歴を見て、自分の進むべき道はこれだ!と直感した。自分と同じようなバックグラウンドから出て、独立独歩の道を突き進んでいる方だった。こういう進み方があったのか、自分でも頑張れば同じようにやっていけるんじゃないか、と思った。95年の夏休み中、一人でひたすら悩みに悩んだ末、夏休み明けにその先生に会いに行ってお話を聞き、大学院をやめて専門学校でその先生の講義を受けることを決心した。これは一生の仕事としてやっていけるんでしょうか、と聞いたら、これは一生の仕事です、と答えてくれた。それで心が固まった。あれが95年の9月だったはず。さっそく10月からは専門学校通いが始まった。当時、懸命に勉強したことは今でも大切な基礎になっているし、自分を評価してくださって初めての仕事をくれたのもその先生。だけど、独力で仕事ができるようになり、忙しくなってからは音信が途絶えてしまった。先生も本当にいつ寝ているのかと思うほど忙しい方だったし、まだネットでいつまでも手軽につながれるような時代でもなかった。音信がなくても、あのとき本当にお世話になった先生のことはたまに思い出す。

当ブログで何度か繰り返し書いているが、自分はできることとできないことが人と違う。できないことは徹底してできない。どうしてそんなことに、と思われそうなことにいちいち引っかかり、苦痛に感じ、なぜ自分は人が普通にすいすいやってることができないのかと劣等感に落ち込む。自分にできないこと、やりたくないことはなるべくやらず、得意なことに一人で集中して取り組んでその成果を評価してもらうことで、自分がいてもいい居場所を作ろうと思った。自分の居場所など、自部屋以外にどこにもなかったのだ。自分の不得意なことを組織の中で嫌々やっていても、集団生活のストレスに絡め取られ身動きが取れなくなり、コンプレックスを募らせて自滅していくのはもう学校生活の経験から目に見えていた。宇宙でひとりぼっちになれる環境が必要だった。

大学院をやめた時点で自分は23歳だったが、30歳までには独立して働けるように頑張ろう、それまではフリーターか何かで暮らしていこう、とこの辺は実にあやふやな見通ししかなかった。大学院をやめるのは親の大反対を押し切ってまったくの独断で進めたので、実家にとどまるのは気が引けて、実家から自転車で5~10分ぐらいのところに一番安い風呂なしアパートを借りて、翌年春から初めての独り暮らしも始めた。生活費は大学生の頃から続けていたバイトが頼りだったが、バイト先のメイン取引先がある晩に突然夜逃げしてしまい、バイト代が滞るようになった。実家から出た途端、いきなり安アパートの家賃の支払いにも困る事態になったのだ。食費もなるべく切り詰めて、近所の食料品店で安売りされていた「赤いきつね」ばかり食べていたので、すっかり飽きてしまって未だに「赤いきつね」は味を思い出すのも嫌である。結局、実家を出てからは両親も支援に転じてくれて、たびたび自転車で実家に帰っては食べさせてもらっていた。最初の一年間は経済的にどん底で、精神的にも相当きつかったが、やっと「自分の人生」が始まった、という確かな実感もあったことを覚えている。そこまでやらなくても、風呂なしアパート暮らしなんてやめて実家に戻っても良かったんじゃないか、と思うけど、それだけ気負っていたのだろう。そうこうしているうち、だいぶ前に当ブログに書いたNさんとの出会いがあり、仕事が安定してもらえるようになって、そこから延々とつながって今に至っている。自分は運が良かったとつくづく思う、宇宙でひとりぼっち25周年である。25年なんてほんとにあっという間だ。

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悩みに悩んでいた最中、95年の夏に買ったこのシングルが当時のサウンドトラックだった。こっちはこうさ、どうにもならんよ、という一節がとてもしみた。

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