40年後の12月8日、初めて思ったこと

40年前の12月8日、日本時間では9日になるだろうが、自分は小学校2年生だった。もう物心はバッチリ付いていたはずだし、東京都北区の団地で暮らしていた当時の記憶は色々と残っているが、「その日」に関しては何も記憶がない。実家では普通に新聞も取っていたし、テレビが一日中ついているような家だった。ジョン・レノンが射殺されるという衝撃的なニュースは当日すぐに入っただろうし、家の中で何か波風が立っていれば自分の記憶の片隅に残ったはずだけど、当時の両親はビートルズに特段の思い入れがなかったのだろう。それにしても不思議なぐらい、その日の記憶は皆無である。

当時8歳の自分はまだビートルズというバンドを認識していなかったけど、ジョン・レノンという名前は何となく存命中に知っていて、おぼろげに「危なそうな人」というイメージを持っていたことはうっすら記憶にある。ラジオで何か危なそうな感じの曲がかかったのかもしれない。自分は前に書いたように、ジョンとヨーコが生み出した「イマジン」は今こそかけがえのない価値を持つ、後世まで残すべき曲だと思っている。しかし、自分が知っている限りの世界では常にジョンについて回っている「愛と平和の伝道師」のイメージは、存命中からあったのだろうか。ただただ音楽をやってきたロックスターが、衝撃的な死によって伝説の英雄的な存在に祭り上げられてしまう現象を自分はカート・コバーンのときに経験して、ひどく苦々しい思いをした。ビートルズ時代からジョンを追いかけてきたようなファンは、このあたりのことをどう思っているんだろう。


ビートルズ解散後のジョン・レノンが出した作品は、「ジョンの魂」と、アルバムとしての「イマジン」以外は、それほど熱心に聴いてこなかったというのが正直なところ。「ジョンの魂」だってあんまり日常的に付き合える作品ではない。「イマジン」は昨晩もアルバム全編聴いたけど、やっぱり自分にとっては数曲に参加しているジョージのギターの存在が大きいのだと改めて思った。自分にとってジョンの音楽は、対等にやり合える友達のリトル・ヘルプがあるときに一番輝くのかもしれない。ポールとも亡くなる少し前にはいい友達として付き合いが復活していたという。そのことが僕にとってせめてもの救いだとポールが語る記事を最近たびたび見る。もしジョンが12月8日の事件に巻き込まれず、やがてポールと本格的によりを戻して、また一緒に音楽を作り始めていたら、自分は80年代をもう少し楽しく過ごせたんじゃないだろうか。さらに、90年代そして21世紀になっても、仲違いと仲直りを繰り返しながら現在進行形のレノン=マッカートニーとして、気ままに音楽を作り続けていたかもしれない。

自分がビートルズというバンドを認識して音楽にはまり込み始めたのは、ジョンが亡くなって2年後のことだった。ジョンは自分にとって、認識した頃にはすでにこの世を去っていた歴史上の人物であって、もしリアルタイムで生きていたら、なんてこれまで考えたこともなかったけど、今これを書いていて初めてちょっとそう思った。生きていたらよかったなあ。

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高校生の頃に買った「絵本ジョン・レノンセンス」の中で一番好きな詩は「さびしくひとりですわってた」。ノンセンスってナンセンスのことだったんだ、とかなり後になってから気付いた。

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