女性はギターを壊してはいけないのか

一昨日書いた記事、投稿した時点では我ながらよく書けたと満足していたのだが、次第に自分の中で落ち着かない点が出てきて、結局は何度も書き直す羽目になってしまった。本題のマチルダ効果について書いた前半はいいとして、後半部分は当初の状態からかなり変えた。それでも落ち着かないのだけど、現時点の自分に書けるのはあそこまで。現状では無知なのだから、このトピックで書いてしまった以上はもう仕方ない。差別や偏見について書くことで、自分の意識に潜む差別や偏見もあからさまになってしまうのだと、改めて思い知る。男性優位の社会で、女性なら誰もが直面するだろうたくさんの問題を、男であるということだけでスルーできてしまう。その不平等を意識しなければ、一生無知のままで終わるだろう。

女性への偏見について、日本で現在大きな話題になっているオリンピック案件のほかに、自分の中でもやもやしている案件が実はもうひとつある。先日、フィービー・ブリジャースという女性ミュージシャンがサタデー・ナイト・ライブに出演して、ギター破壊パフォーマンスを行った。それにSNSでかみついた男性ベテランロッカーがいたのだ。曰く、「ギターは演奏するものであって、壊すものではない」。そのことを報じる記事を見て、自分はまず、はあ?!と思った。その人の名前はここに出さないが、60年代から活躍してきたロックのパイオニアの一人である。フーのピート・タウンゼンドやジミ・ヘンドリックスが同じことをやったのを間近で見てきたはずの人物。なぜ、今さら彼女のギター破壊パフォーマンスにかみつくのだろう。


当然、ピートやジミヘンはどうなのかという突っ込みがあり、彼は「あれも当時から嫌だと思っていた」と答えている。音楽家なら楽器は大切に扱うべきだという気持ちは、まあわからないでもない。その後も、彼女のパフォーマンスが明らかに「仕込み」だったことに対する非難の声を紹介したり、女性がやったから文句を言ったのではなくパフォーマンス自体が良くなかったのだと発言したりと、その件で盛んに発信していた。そのシーンを見ると、モニターに叩き付けられたギターは頑丈すぎてあまり破壊できておらず、「壊すならしっかり壊せ」という批判なら甘んじて受けるべきかもしれない。でも、彼にとってのポイントはそこではないようだ。そもそも、ギター破壊が「仕込み」なんて、言わずもがなである。発端のピート・タウンゼンドの場合は、ステージ音響の不調にムカついて本気でギターを壊したという純粋なハプニングだったようだが、それを見て俺もやろうと思ったジミヘンはギターに火をつけるためのライター液を事前に用意したようだし、あれの真似をしたいと思ったら誰だって「仕込む」だろう。本当に、何を今さら、と思う。同じサタデー・ナイト・ライブで、92年にニルヴァーナもギター破壊に加えてドラムぶん投げパフォーマンスをやっている。もし当時SNSがあったら、やはり「ギターは弾くものでドラムは叩くもの、壊したり投げたりするものではない」なんてお説教をしたのだろうか。それは絶対ないと思う。当時、あれに対する批判をどこかで目にした記憶はひとつもない。だから、今回の一件は非常にもやもやするし、そのベテランフォークロッカーは自分の中でかなり株を下げた。偏見って、偏った社会で生きている以上どうしても持ってしまうのは仕方ないとして、そこに気づいても頑として否定するだけで終わってしまうのなら、とても残念。

フィービー・ブリジャース、自分が大好きなエリオット・スミスから多大な影響を受けたアーティストということで、興味を持って前に聴いてみたことがあった。ソロの作品は、今のところ自分ははまるところまで行っていないけど、彼女がConor Oberstという年上の男性ミュージシャンと組んだデュオ、Better Oblivion Community Centerはかなり好き。特に「My City」はエリオットが在籍したヒートマイザーの名曲「See You Later」を彷彿とさせる感じで、とてもいい曲。この辺も、見聞の狭い自分にとっては新しい扉になると思うので、もっと聴き込みたい。

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