3月のせい

毎年3月になると、ある決まった感覚に襲われる。八方塞がりという言葉が一番近いと思う。長く冷たい冬がようやく終わって明るい春になろうという時期に、どどーんと落ち込んだ気持ちに支配されるのである。自分は昔から環境の変化が苦手で、特に中高生時代はクラス替えが不安で不安でたまらなかった。普段の席替えでさえ不安だったぐらいだ。別に現状が気に入っているというわけでもないのに、新入学、新生活、新社会人といった言葉が世間にあふれる時期、周囲の環境がシャッフルされることがとにかく嫌なのである。大人になって学校に行かなくてよくなり、もはや「新」と名の付くものとはあまり縁がなくなった今でも(昨年は新天地への引っ越しがあったけど)、この3月特有の不安な気持ちはずっと残っていて、毎年悩まされる。昔ほどひどく落ち込んだりはしなくなったが、それでも「あの感覚」がモヤモヤとそばにたたずんでいることは変わらない。特に朝目覚める前後の時間はちょっとしんどくて、何とも説明しがたい、ぐじゃーっとした気分がのしかかってくるのだ。桜が咲いて散り、本格的に春になるころにはすっと解消するので、もう少しの辛抱である。

若かったころは、この気分が3月特有のものであることも自分でよくわかっておらず、ひたすらぐじゃーっと落ち込むだけで、つらかった。この気分に「名前が付いた」のは、ラジオで「3月のせい」という曲を聴いたことがきっかけだった。目から鱗が落ちるとは、まさにこのこと。


「3月のせい」は鈴木祥子の1997年作のアルバム「Candy Apple Red」に収録されている曲。といっても、自分がこの曲を聴いたのはラジオで流れたときの一度きりで、アルバムにはまだ接したことがない。ラジオで流れたのが発表当時の97年だったとしたら、もう25年も前のことだ。でもこの曲のことはずっとよく覚えていて、この気分は「3月のせい」なのだと思えるようになったことで、かなり救われた。自分のせいではない、3月のせいなのだ、きっと3月が終われば普段の自分に戻れるのだ、と。あの正体不明のしんどい状態が音楽で表現されて、これを歌ってる鈴木祥子という人も自分と同じじゃないか、と勝手に親近感を持ったのである。同じときに同じ状態になる人がいる、自分一人ではないと知ることで、かなり救われる気持ちになる。だからこの曲には、25年前からずっとひそかに感謝している。

IMG_20220323_083154.jpg
冬から春に移り変わる3月下旬、田植えの準備が着々と進んでいる。去年、新天地に引っ越してきたのは田植えが始まった時期で、もうすぐ季節が一周する。

タイトルとURLをコピーしました