子猫とは明日でお別れ

今月初めの記事で、子猫を拾ったことを書いた。あれから無事にすくすく成長し、家中くまなく暴れ回るようになった。拾った日に獣医さんに連れて行ったときの体重は400グラムだったけど、今では700グラム。トイレも覚えてくれたし、健康そのものだし、もちろんかわいさ百点満点だし、順調すぎるほど順調に日々は過ぎていった。今週末で、出会ってから4週間になる。

子猫の生育にまったく問題はないのだけど、2匹の先住猫にとっては、急に外からわけのわからない新入りが来て一緒に暮らし始めたことは大問題である。当初自分が心配していたのは7歳半の雄猫のほう。猫年齢ではすでにおじさんの域に達していて、何だか知らないが常にテンパっている神経質な性格である。同居猫との折り合いも良いとはいえず、いつもビクビクと気を張りながら暮らしている。人間関係ならぬ猫間関係をうまく結べないタイプのようで、年齢も含めてかなり自分と似ていて、何とも身につまされるキャラクターなのだ。もう1匹は、当ブログにも出会いのいきさつを記した3歳の雌猫、あおいちゃんである。猫年齢では30歳前後、アラサーといったところで、同居のおじさん猫を体重では大きく上回り、性格も勝ち気。文字どおり猫かわいがりされて、家の中では完全にお姫様として君臨。これならちっちゃい新入りを迎えても動じないのでは、と思っていた。しかし蓋を開けてみると、意外にもおじさん猫は新入りに間もなく適応して通常営業。やんちゃな遊び相手ができて少し若返ったのでは、と思えるほどだ。一方あおいちゃんは、新入りが来てから徐々にストレスを溜めていった挙げ句に、1週間ほどしてすっかり様子が変わってしまった。ご飯も食べず、水も飲まず、声もかすれ声か唸り声が出るだけになり、ろくに動こうともしない。まるで人間の鬱状態のようだ。猫もストレスで鬱になるのだと、初めて知った。

これまで一緒に暮らしてきた先住猫の健康が第一なのは言うまでもない。元々甘やかしすぎて体重過多気味で運動不足、あまり健康とはいえなかったところにストレスが加わって、精神的に折れてしまった感じだった。これまでお姫様だっただけに、打たれ弱かったのかもしれない。申し訳ないことをした。元のかわいいあおいちゃんに早く戻ってほしい。ストレスの原因は取り除いてやらなければならないけど、同じ家の中でそのストレス源の子猫と会わないように暮らすことは難しい。なるべく直に衝突しないように気をつけながら、どうにか時間をかけて適応してくれないだろうか、と様子を見てきた。日が経つにつれ、少しずつ新入りのいる生活に適応する様子を見せ始め、何日か経ったら飲食とトイレは普通にするようになった。それでも放っておくと一日中寝ているので、タイミングを見て起こして庭を散歩させる。まだ猫年齢で30歳前後なのに、老猫を介護しているみたいだ。声はまだほとんど出ないままで、元気だった頃のあおいちゃんとはまだ程遠いけど、少しずつ回復してきて、この分ならもうしばらく頑張ればきっと乗り越えられるだろう、これからうちは猫3匹でやっていくんだ、と思っていた。毎日確実に大きくなっていき、できることがどんどん増えていく、かわいい暴れん坊猫の成長ぶりを見守るのは楽しい。たまに、大人の先住猫2匹と子猫が微妙な距離を保ちながらひなたぼっこをしているシーンが見られた。この3匹は元々まったく無関係なのに、そうやって並ぶとまるで親子のように見えてしまって、こういうのも何だかいいなあ、と和んだりする。

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そんな風に、まだ子猫を飼い続けられるか微妙な状況ながら前向きな気持ちでいた先週末、何年かぶりに親族と会う機会があり、子猫の写真を見せながら話をしていたら、うちに欲しいという話になった。向こうもちょうど子猫を飼いたいと思っていたところだったらしい。猫が好きではないという家族もいて、本当に引き取るかどうかその場では結論を出さず、追って連絡するということになった。子猫とお別れすることになったらちょっと寂しいけど、元の猫2匹の生活に戻ってあおいちゃんの鬱状態が治るのなら、まあそれはそれでいいよね、と自分も思った。果たして週が明けた晩に連絡があって、本当に子猫は引き取られることになった。

その連絡を受けてまず、深い悲嘆に暮れたのは、息子だった。床に突っ伏して泣いていた。自分はこんな息子を今まで一度も見たことがなかった。3年前に老猫様が亡くなったときもわりとケロッとしていたし、小学生時代の6年間を過ごした土地を離れるときも、新しい土地に行くことの方が楽しみだったようで、仲良しだった友達との別れに悲しむ様子はほとんど見せなかった。子猫とは数週間一緒に過ごしただけなのに、その悲しみっぷりはとても意外で、うつぶせになって泣くばかりの息子の姿は自分の胸にぐっさり突き刺さった。たぶんあの姿は一生忘れられないと思う。きっと、一人っ子の息子にとっては、やんちゃ盛りの小さな弟ができたようなものだったんだろう。親族にスマホで子猫の写真を見せたのは息子だったし、引き取る話になってもその場では反対しなかったのに、いざお別れが現実となって突きつけられたとき、どうしようもなく悲しみに襲われたのかもしれない。それは自分にとっても同じことだった。一生懸命お世話してきて、かわいい成長ぶりを見てきて、これからは大変だけど3匹と一緒にずっと暮らすんだと思っていたのに、本当にいなくなってしまうなんて。息子の悲しみと自分の寂しさが二重に襲ってきて、胸がつぶれた。自分が何を手にしていたのか、失ってみて初めて分かるのだ、という歌をまた思い出してしまう。


親としては、息子の悲しむ姿は見たくない。その晩も自分の寂しい気持ちより、息子の打ちひしがれた姿を見る方がつらかった。でも、そうやって別れの悲しみに暮れる息子は前よりも精神的に成長したのだな、と少し嬉しくも思った。悲しみも苦しみも感じない人生というのはあり得ないのだし、自らが悲しみに打ちのめされた経験があってこそ、他人の痛みも理解できるようになるのだから。自分のような大人は、出会いや始まりがあっても、別れや終わりが来たときにあまり傷つかないようにあらかじめ心にクッションを敷き、予防線を張っておくものだ。中学2年生の息子にはそんな小賢しい「大人の知恵」などないから、まっすぐ真正面から悲しみにぶっとばされたのだろう。わずか400グラムから700グラムに増えたばかりのちっちゃな子猫が、別れを悲しむ心を息子に教えてくれた。自分も色々な意味で子猫に教えられることの多い日々だった。

里子に出す話、やっぱり先方の気が変わって立ち消えにならないだろうか、と本気で願ったりもしたけど、向こうも決心を固めたようで、子猫を迎えるのを楽しみにしているという。もう後戻りはできないようだ。あおいちゃんは今日になって久しぶりに少し声が出るようになって、着実に復活してきているのに、この分ならきっと一緒に暮らしていけるのに、と心は千々に乱れるけど、ちょうどこのタイミングで数年ぶりに会った親族とこういう話になったというのは、この子猫はうちではなくあちらで暮らす運命だったのだろう。運命には逆らえない。きっと親族一家にかけがえのない幸せを与えるはずだ。溝の中でみゃーみゃー鳴いていたあの日曜日から4週間、一番かわいい時期を一緒に過ごせてよかった。新しい家でたっぷり可愛がってもらって、存分に暴れ回っておくれ。とうとう明日、つらいけど子猫とはお別れである。

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