国葬にまつわるモヤモヤを書き残しておく

このところのニュースは、安倍元総理の国葬問題で持ちきりである。長年にわたって日本の総理を務めた功労者だったとはいえ、勝手に国民の税金を使って大々的な葬儀をするのはいかがなものか。たしかに、言われてみれば、ということではあるけど、もしあの事件の衝撃が薄れないうちにささっとやられてしまって、マスコミも何も言わずにいたら、自分は大した疑問も感じずに終わったと思う。納税者意識が低いと言われれば、そのとおり。これは、国葬まで無駄に長い時間を置いた現政権の失策なんだろう。人生の中で一秒たりとも自民党を支持したことがない自分ではあるけれど、その失策を突いて国葬反対の声がマスコミ主導で大きく叫ばれ、全国民的なうねりとなり、国葬を拙速に決断した現内閣の支持率は急落、安倍氏の首相時代の政策も改めて厳しく批判され、ということになると、自分は少しモヤモヤを感じてしまう。なぜなら、そもそもの始まりは、安倍元総理が遊説中にほとんど無防備の状態で射殺されたことではないか。あれがなければ、こんなことにはならなかった。問題の宗教団体による献金問題の諸々、報道で見る限りあまりにも苛烈なものである。当事者の苦しみは計り知れないだろうし、政治とカルト宗教の二人三脚ぶりも、ここまであからさまなのか、というショッキングなもの。しかし、それを告発するのが銃弾でいいのだろうか。殺人者の放った数発の銃弾が今の日本の政治を大きく揺るがしているわけだけど、これもまた間接的ではあれ「力による現状変更」ではないのか。ごく単純に言って、「悪い政治家」なら、凶弾に倒れて非業の死を遂げても、自業自得で済ませていいのだろうか。いいわけがない。自分はこれを黙認できないので、モヤモヤするのである。正義の暴力など、あり得ない。いかなる暴力にも自分は反対である。

自分のモヤモヤは、あの事件があった直後に端を発する。自分はごく素直に、安倍元総理に対して哀悼の意を持った。首相時代の政策がどんなものであったとしても、この民主主義の国で、自分も参加した(反対票で)選挙によって何度も首相に任じられた人物である。あんな殺され方をしていいわけがない。当ブログに、その哀悼の意を表した記事さえ載せたほどだった。でも、掲載からほどなくして、その記事は取り下げた。その記事を書いた時点では「意味不明な供述」をしていたと報じられた犯人が、カルト宗教に人生を狂わされた被害者であったこと。安倍元総理がその宗教と関係していると見立てたことも、根拠のないデタラメではなさそうだったこと。情勢があまりにも速く大きく動いて、その記事を載せたときから自分の気持ちが変化して、当ブログにその記事があることにかなりの違和感を持ってしまったのだ。でもやはり、消してしまったことにはずっとモヤモヤが残っていて、そのためにこんな記事を載せる次第である。あのときの哀悼の気持ちはどこに行ってしまったんだろう。何だか載せづらい雰囲気になったから消しただけではないのか。こういうモヤモヤは後々まで残る。このままではどうしてもフェアでない気がするのだ。これを放置していると、だいぶ後になってから、あのときお前はこうだったじゃないか、としっぺ返しが来そうに思えてならない。

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