George Harrison「Brainwashed」20周年:力強いジョージ最終作は涙なしで聴ける

ジョージの命日まであと数日。生前最後に制作していたアルバム「Brainwashed」が発売されたのは没後ほぼ1年が経った2002年11月18日で、先日20周年を迎えたばかりである。もう20周年記念日は過ぎてしまったけど、この11月に本作に触れないわけにはいかない。


20年前、このアルバムが出たばかりの頃のレビューや感想は「涙なしには聴けない感動の遺作」というトーン一色だったけど、自分にはどうにも違和感があった。自分があの作品を聴いて受けた印象とは合わなかったのだ。2001年11月末、ジョージが亡くなったことを知った日に、自分は確かに涙した。涙だけでなく声を上げて泣いた。でも、このアルバムに収められている音楽は、基本的にいつもの軽妙さにあふれたジョージの世界である。特に、1曲目のカラリと明るいカントリー調の「Any Road」から、ユーモアと皮肉たっぷりの2曲目「P2 Vatican Blues」への流れは、重々しさとは程遠い。

もちろん、荘厳な曲、人生を達観したような曲、重いテーマを扱った辛辣な曲もあるし、シングルカットされた「Stuck Inside a Cloud」の歌詞はジョージの苦しい闘病生活をありのままに歌っているようだ。それでも、ジョージはいつもそうやって歌で率直な心中を明かしたり、真っ向から問題提起をしたりしてきたのだから、通常運転の範疇だと言ってしまおう。あのアルバム序盤の軽いムードには、ジョージのはっきりとした意図を感じた。ジョージと、その遺志を継いだダーニとジェフ・リンは、「遺作」というものにつきまとう重たさ、悲しさをできる限り払拭しようとしたのだ。自分にはとても共感できる気持ちである。だから自分も当時、この作品には「久々のジョージのニューアルバム」としてフラットな姿勢で接した。ジョージもきっとそうしてほしかったはずだと思いながら。ウクレレをチャンカチャンカかき鳴らして歌われる「Between The Devil and The Deep Blue Sea」は、そんな本作を象徴する傑作カバーである。1931年にキャブ・キャロウェイが歌ったものがオリジナルという、古い古い歌。
この映像に使われている音源はアルバムバージョンと違うもの

この曲の邦題は、曲調とは似つかわしくない「絶体絶命」。歌い出しの歌詞、君なんか欲しくないのに、君を失うのも嫌だ……改めて考えると、どこかで聴いたことのあるフレーズだと思ったら、ビートルズ時代のジョージがジョンと一緒に歌った「You Really Got A Hold On Me」の歌詞も、これと似たような内容だった。君なんか好きじゃないのに、どうしようもなく愛している、キスなんかしたくないのに……という。辞書で調べてみると、「between the devil and the deep blue sea」とは「2つの選択肢があって、どちらを選んでも同じぐらい悪い結果になる」という意味だそう。左に行けば悪魔が待っていて、右に行けば深い海の底に突き落とされる。だから「絶体絶命」なのだ。きっと、ホーギー・カーマイケルと同じように、ジョージの幼い頃の思い出にある歌だったんだろう。ジョージ自身の曲ではないけれど、これがあるとなしでは、アルバム全体の雰囲気も意味合いも全然違ったものになる重要な存在。自分もウクレレを手にすればつい弾いてしまう曲であって、この楽器の楽しさがそのまま音楽になっている。

アルバム中盤、「Rising Sun」と「Marwa Blues」が続くところは、間違いなく本作のハイライト。どちらも「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」以降のビートルズを明らかに彷彿とさせる曲で、ジェフ・リンが最も得意とするサウンドが惜しみなく披露される。「Cloud Nine」以降、トラヴェリング・ウィルベリーズ、ビートルズ・アンソロジーを経て、ジョージがジェフ・リンとじっくり付き合って熟成させてきたコラボレーションの完成形が、この2曲にはくっきりと刻み込まれている。「When We Was Fab」のときは、こういう音楽にはビートルズのパロディという前提を立てて取り組んでいたけど、ここでの二人はその「Fab」の路線をさらに推し進め、ビートルズの再現ではなく二人で作り上げた一つのスタイルとして、真正面から堂々と表現しているのが素晴らしい。生前のジョージは、本作収録曲についてのメモを大量に残していたという。ジェフ・リンとダーニはそれを指針にして、ジョージなしで本作を完成させる作業を進めていった。ダーニによれば、そのメモの内容はジェフ・リンにしか理解できないことも多かったという。この世にいないジョージと、まさにあうんの呼吸で作業を進めていったジェフ・リン、凄い。元々音楽的な共通点が多かった二人が、互いに影響を与え合いながら一体となって到達した融合の境地がこの2曲。特に「Rising Sun」は自分にとって大切な曲で、もちろん本作の中で一番好き。この二人が作る音楽をもっともっと聴きたかった。



このアルバムの最後は、シヴァ神を称えるヒンドゥー宗教歌、「Nama Parvati pataye hara hara」のジョージとダーニ父子による詠唱で締めくくられる。これを初めて聴いたとき、自分は厳粛な気持ちになるというよりは、不謹慎だけど少しフフッとなってしまった。文字どおり最後の機会だから、やりたいことを思い切りぶちかましてやったんだな、と思ったのだ。神への深い愛をテーマにした曲を発表すれば「宗教臭い」と敬遠されるのが、ジョージの宿命だった。ビートルズ時代の「Long, Long, Long」から始まって、ジョージの中ではとことんまで追求したい大切なテーマだっただろうに、正面切ってやればやるほどリスナーには煙たがられ、宗教色が薄いほど歓迎される。大きなジレンマだったに違いない。「遺作」のラストなら、自らお経を読んでも、まさか批判する人などいないだろう。まさしく一生に一度しか訪れない絶好のチャンス、ここは遠慮なくやってやるぞ、と張り切るジョージの姿が思い浮かんでしまうのだ。

アルバムのタイトルとなった最終曲「Brainwashed」には、むしろ神が僕たちを洗脳してくれたら良いのに、という重要なフレーズが出てくる。「神」「宗教」とくれば「洗脳」されるもの、という固定観念に対して、日経やらダウ・ジョーンズやらに骨の髄まで洗脳されているのは物質世界の方だ、僕は宗教に洗脳などされていない、真実を見詰めているだけだ、とジョージは最後に真っ向から全力で叫んだ。「Brainwashed」という曲は、とても力強い、「Living In The Material World」の21世紀バージョンである。繰り返すけど、これは衰弱したジョージが最期の声を振り絞った痛々しい「遺作」ではない。20年の月日が経っても聴く者に痛烈に刺さる、とてつもない力が込められている。

ダーニが本作の20周年を記念してInstagramに上げた投稿を最後に(後記:残念ながら現在はリンク切れ)。父のラストアルバムを父なしで仕上げるという作業は、今にして振り返ってもこれまでで一番困難なプロジェクトだったという。いつもそばにいた大切な父親(それも普通の父親ではない、ジョージである)を若くして亡くした悲しみは想像を絶する。しばらく乗り越えられなくてもまったく無理はないことなのに、もし1年でも待っていたら絶対にやり遂げられなかっただろう、と振り返っている。つらいお別れをしたばかりの父と、遺された音楽で再会するということは、喜びと悲しみの両極に振り切れながら揺さぶられる体験だったはず。当時まだ24歳の若さで、音楽の経験も浅かったダーニが苦労を重ねて仕上げたアルバムを、今でも大きな誇りに思っていることがよく伝わってくる。ジョージに後を託されたジェフ・リンとダーニの丁寧で誠実な仕事ぶり、初めて聴いたときから素晴らしいと思ったし、今でも感想は同じ。ダーニの言う通り、「Brainwashed」は20年経った今こそ、改めて聴き直す価値が大ありの作品である。

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