God only knows

今年の5月で生誕半世紀を迎えてから今日でちょうど4か月なのだが、50歳になった途端に50代っぽいことが次々と起こり、いきなり本番に放り込まれたようである。でもまだこれは序の口なのだろう。やはり50代、恐るべし。特にこの夏の終わりは、季節の移り変わりと同じぐらい急激にあれこれが動いていき、目が回る。現在は自分の母親と、近しい親族が同じ時期に入院している。身近な人の長期入院なんて今までほとんど経験したこともないのに、50歳になったら二人立て続けである。母はたぶんもうじき退院できそうだけど、親族は14時間がかりの大きな手術を月曜日に受けたばかり。自分は先週木曜日に3週間のリモート仕事を無事に終えてほっとしたのも束の間、今度はその親族の手術にかかわる諸々が当初の想定よりも大変で手伝いに行く必要が出てきて、日曜日には電車に乗って自宅から5時間かかる遠いところに2泊で出向いた。そこは旧居にいた頃にもたびたび訪れていた馴染みの土地で、それ以前からずっと親しんでいたとても好きな街なので、久しぶりの滞在は手術のことを抜きにすれば楽しかった。親族の無事を天に祈りながら、基本的にはほとんどが待ち時間なので近辺で時間をつぶして過ごした。

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母の方の手術は前々から予定されていたことだけど、親族に持ち上がった問題はまったく青天の霹靂で、7月末頃に問題が発覚してから2か月も経たない間に、集中治療室で全身麻酔を受ける身になってしまった。手術後の経過が順調だったとしても(本当にそう願っている)、少なくとも2か月は病院でリハビリ生活である。喉を大きく切る手術なので、食事や会話というごく基本的な日常動作に大いに差し障りが出ることになる。リハビリを乗り越えて退院しても、100%元通りの生活とはいかないのだろう。それでも何とか、新たな命をもぎ取って、病院の外に戻ってきてほしい。

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万物は流転する。誰にいつ何が起こるかわからない。当ブログでも繰り返し書いてきたことだけど、こうやって実際に親族の健康問題の成り行きを目の当たりにすると、明日何が起こるかは神のみぞ知るなんて、リアリティとして真に理解していたとは到底言えない。本当にわかっていたのなら、自分は今ここには住んでいなかったはずなのだ。その親族のそばにいるのが正しかった。初めて、ここに来て失敗したな、と後悔してしまった。当時はそれなりに悩みに悩んで決断したこと。今さら言っても仕方がないのだけど。

自分にもいつの日か終わりは必ずやってくるけど、おそらく自分の終わりよりも先に、親世代の大切な人たちとのお別れがひとつひとつ訪れる可能性の方がずっと高いのだろう。ここが50代の一番つらいところなのだ。でも、まだまだ早すぎる。お別れはいくらでも先延ばしにしてもらいたい。突然の病に冒された親族も、2か月後には「F–k you, I’M A SURVIVOR!!!」とレニー・クラヴィッツばりにシャウトしながら、いや、切られて縫い合わされた喉で叫ぶのはちょっと無理だろうけど、とにかくどんな姿でも変わらないあの人らしさを携えてまたこちらに帰ってくるように、毎朝毎朝祈るばかり。

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