「ガリーボーイ」を観に行かない理由などない

自分が暮らしていたムンバイで制作されているヒンディー語のボリウッド映画をはじめ、インド全国さまざまな言語で盛んに作られているインド映画。かつてに比べれば日本にもやや浸透してきたかもしれないが、大都市を離れれば映画館でインド映画が上映されることはあまりないし、こちらの近場の映画館に来ることなどめったにない。先日、車で3時間以上かかる土地にある映画館で、ムンバイを舞台にしたインド映画「ガリーボーイ」が上映されるということで、当地にホテルを予約して出かけた。一本の映画を観に行くために一泊旅行である。もちろん東京にも3時間かければ行けるのだが、映画だけのためにストレスフルな東京に出て一泊なんてまっぴら御免である。映画ついでに知らない街を歩いてみることもできるのが良い。

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知らない海を眺めた

「ガリーボーイ」はすばらしい作品だった。自分はヒップホップのファンでは特にないが、この映画のために作られた楽曲群はどれもシンプルで力強く、耳にしっかり残る。実際にモデルになったインドのラッパー達の全面協力を得て制作された音楽で、ボリウッド的な装飾は排されている。かといって、アメリカのヒップホップを表面的にまねたものでもなく、英語もほとんど入れずにガツンとヒンディー語でラップしている。ムンバイのスラムに生まれて、貧困と身分格差のくびきから抜け出せずに絶望を強いられている主人公は、それでも夢を持ちたい、自分の言葉でどうしても吐き出したいことがあるから詞を書き、ラップをやっている。ふだん話さない英語の入る余地などない。まさに歌詞に出てくる「Asli Hip Hop」(本物のヒップホップ)という言葉が説得力を持って伝わる音楽。映画の内容もこの音楽とぴったり寄り添ったもの。ひたすら伝えたいことを力強くストレートに表現していて、最後までぐっと引き込まれた。もたつく冗長な部分など一瞬もない。終わり方の演出も最高に盛り上がり、かといって自分の嫌いなお涙頂戴には決してならず、とても格好よかった。

映画の公式トレイラー

ムンバイで暮らしていた頃、スラムの世界は身近にあった。当地でスラムは特別な場所ではなく、いくら裕福な地域にいてもそのすぐ隣にスラムは広がっていた。映画にも出てくるが、裕福な層はスラム住民を使用人としてきわめて安い賃金で雇う。出身階層が違っても同じ人間なのに、同じ人間として扱われない状況が日常になっていた。運転手、掃除人、料理人、子守、メイドなど、安く使えるスラム住民の下働きによって富裕~中流層の生活が回っている。富裕では全然なかった自分の家でも、掃除や料理をしてもらっていた時期があって、とてもお世話になったひとの住居にお邪魔したことがあった。近所に十数階建てのスラム住民向け住宅があって、その一室で暮らしていた。一見、快適なマンション暮らしに見えるかもしれないが、とんでもなかった。子供から年配者まで十数人で同居していて、子供たちは台所の天井裏というあり得ない場所で横になっていた。映画で唯一リアルでなかったのは、主演ボリウッド俳優の筋肉だった。あんなに筋肉隆々のスラム住民はいない。使用人、車洗い、店員、掃除人、ムンバイの至る所で見てきた下っ端の若者達は、栄養不足のぺらぺらに痩せた兄さんばかりだった。

筋肉はともかく、主演のランヴィール・シンをはじめ出演陣の演技も文句なしに良かった。ムンバイの風景も自分が見てきた世界そのまま、ボロいけれどとても魅力的に映し出されていた。非の打ち所が思いつかない。インド、ボリウッド、ヒップホップ、どれにも興味が持てなくても全然かまわない。「ガリーボーイ」は心を持った人間であれば誰もが楽しめて、がつんと力強い気持ちを受け取れる映画。観に行かない理由などないのである。自分は観に行って本当によかった。


在住当時、最寄り駅に向かう歩道橋から撮った写真。その駅前にも一大スラムが広がっていた。小さなあばら屋が密集し、大火事にたびたび見舞われた。

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