Home Counties Boy

最近、仕事で不注意による単純ミスを指摘されることが続いた。このところの日常では、延々と、小さな小さな仕事をパズルのようにスケジュールにはめ込んでは片付けている。いくら小さくても一件一件、最低限の品質は確保すべく、ちゃんと見直してミスをつぶした上で納めているつもりだったが、指摘されると本当に申し開きようのないケアレスミスが残っていたことに気付かされ、非常に決まりが悪くて恥ずかしい。先週末にもそんな思いをして、もう少しちゃんと丁寧にやらねば、と気を引き締めたその日に納めたものに、また同じようなミスの指摘が来た。さすがにこれはかなり堪えた。もう今の自分は、この仕事を正確にこなしていく力を失ってしまったのかもしれない。いや、人間だもの、こういうミスは往々にしてある、たまたま続いただけだ、こんなことでめげてても仕方ない、と頭の中でぐるぐる繰り返すばかり。失敗しても誰もフォローを入れたりしてはくれない。立ち直れなければ信用を失い、仕事が来なくなって失業するだけ。自分でどうにか乗り越えるしかない。考えたのは、しばらく仕事量を減らそうということ。このたびの事態を重く受け止め、深く反省する期間を設ける、要するにしばらく仕事をサボってぼんやり暮らしたいと思った。手持ちの案件は残っているし、完全に仕事をせずに暮らすのも自分には難しいことなので、1日にこなせると思っている分量を半分にする。それを超える案件は全部断る。すると収入もきっちり半分になるのだが、ステイホームだ何だで旅行にも出られず、長すぎる梅雨に入ってからは悪天候ばかりで週末にもろくに外出せず、働き過ぎだったことは確か。しばらく収入半減でも構わないから、ストレスを減らすために少しのんびり暮らしてやることにした。

先日記事にしたマーティン・ニューウェルの「The Greatest Living Englishman」に収録の「Home Counties Boy」。調べてみるとホーム・カウンティとは、ロンドン近郊にある諸州を指すらしい。ロンドンを東京に置き換えれば、千葉、埼玉、茨城といった首都圏の県がそれに当たるだろう。自分が生育期の大部分を過ごしたのは東京23区内だったが、自分の心の「ホーム」はそこにない。小学校3年生から卒業直前まで、千葉県内で暮らした3年半ほどの日々の方が、今の自分にとっては重要なのだ。だから「Home Counties Boy」はとても近しく感じる曲。特に「Having to say ‘Thank you’ and ‘Please’」の一節がなぜか心にぐっと来てしまう。そのとおり、毎日毎日、「ありがとうございます」「どうかお願いします」「大変申し訳ありません」ばかり言わなければならない。それが大人というものだ。だが、何十年やっていても、心にもない言葉を発するたびに、どうしてもほんの少しずつ心が削れていくのだ。この夏は仕事を減らし、ぼんやり考え事をしながら歩いたり、庭で膝を泥んこにしたりする時間をもっと増やす。ブヨにはもう二度と刺されたくないが。

「H」はちゃんと発音しなさい、と母さんは言ったものさ
手を汚さずに働ける仕事に就きたければ
でもグレーの服を着るのなんて絶対に嫌だった
ロンドンに上って給料稼ぎなんて
「ありがとうございます」「お願いします」と言わされて
僕は首都圏の田舎から出てきた少年だったのさ

あんたの家もいらない あんたの車もいらない
自分があんたみたいに暮らしてたら死んじまうだろう
だから手には鋤を持ち 膝は泥んこ
僕は今でも首都圏の田舎から出てきた少年なのさ

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