本当に必要なものだけが荷物だ:忌野清志郎「瀕死の双六問屋」を売るのをやめた話

荷物整理を進める中、CDと一緒に本を売ろうとしている。元々、本はあまり読まないし、過去に買い続けていた大量の音楽雑誌はCDと同じように大整理をとっくの昔にやっている。もう今回手放すものはそれほどないけど、古本で全巻いっぺんに買って読み終えた「真田太平記」の文庫12巻セット、もう全然読まないのに大昔から何となく所有し続けていた新書や単行本、買ってざっと流し読みしてもういいや、という感じの音楽雑誌などを段ボールに詰めた。

段ボール行きにした本の中に、忌野清志郎が2000年に出した「瀕死の双六問屋」がある。1998年~2000年に「TVブロス」誌に連載されていたコラムをまとめた単行本。4曲入りCDが付いていて、この本だけのために清志郎の自宅スタジオで録音された新曲が収録されている。自分は連載時に「TVブロス」を毎号買っていたので、この本を買う前に内容はすでに全部読んでいた。先日、本棚から久々にこの本を取り出して、パラパラとめくってみて、まあ、もうこれもいいか……と売却用の段ボールに詰めたのだった。付録CDの4曲はとても格好良かった記憶があったが、CD付きの方が高く売れるだろうから、CDごと手放すつもりで音だけパソコンに入れた。

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今日、本を処分してしまう前に、この付録CDの4曲を何年かぶりに聴いた。どの曲も記憶どおり、本の付録のためだけに作られたとはとても思えない、力の入った素晴らしい出来。「瀕死の双六問屋のテーマ」は、7分近くにわたって多彩な曲想が次々と展開していくサイケな力作。Spotifyで試しに検索してみたが、このCDの曲はやはり出てこない。本当にこの本の付録でしか現時点では公開されていない4曲なのだ。もう20年以上前に出てとっくに絶版、調べてみると2012年に一度リマスターCD付きの新装版も出たようだが、現在ではどちらも中古でしか買えない。これは、売ってしまったら後悔するやつではないのか。思い直して、本を段ボールから救出した。

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忌野清志郎の著書では「十年ゴム消し」が自分のバイブル。これだけは何があっても絶対に手放さない。70年代、アコースティックトリオ編成のRCサクセションでハードフォークをやっていた頃に書かれた日記を書籍化したもの。20歳そこそこの清志郎が日々ノートに書き付けていたという文章は、音楽をやっている若者の何気ない日常の記録に見えて、その一文一文が本当に特別な輝きを放っていて、何回読んでもその輝きは薄れることがない。その中の数編はRCサクセションの歌に取り入れられて後世に残った。日記がそのままあんな詩になってしまうなんて、常人には手の届かない才能というものが本当に存在するのだと知ったのが「十年ゴム消し」である。「瀕死の双六問屋」の文章はテレビ雑誌のコラムなので、そんな詩人清志郎というよりは、後年のロックスター・キヨシローの口調で書かれた軽めの文体。「十年ゴム消し」みたいに後々まで一字一句読み返すようなものではないかな、とパラパラめくった時点では感じたのだ。でも、一切手抜きのない内容の付録CDを聴いて、この本は軽々しく手放していいものではなかったな、と考えを改めた。

「瀕死の双六問屋」をもう一度ざっと読み直してみた。「本当に必要なものだけが荷物だ」という言葉に目がとまる。そうだ、自分はこの言葉に触発されたのではなかったか。本当に必要なものだけが荷物だ。だからこそ、必要ないものはどんどん処分して身軽になろうとしている。この本を買った頃、自分は荷物をたくさんたくさん持っていた。実家に自分の部屋は残ってないし、自前の持ち家もない。荷物は動くたびに全部持って歩かなければならず、身軽になりたかった。そんな自分を後押ししてくれたのがこの言葉だったのだと、今さら思い出した。その大切な言葉が書かれた本を、その言葉に動かされた自分が今まさに処分しようとしていたとは、皮肉なものだ。この本は気軽にパラパラ読めるものだけど、内容は決して軽く流せるものではなかった。今さら言うことでもないが、どんな文体でもやっぱり、清志郎の書く言葉にはパワーがあるのだ。

毎回コラムの最後に、清志郎のお気に入りアルバムと簡単な紹介の言葉が書いてあって、これも今読み直してみると色々と発見がありそう。ザ・バンドの「Moondog Matinee」の回はよく覚えていた。このアルバムタイトルを見るたびに、ちょっと待ちねえ、これを聴きねえ、ムーンドッグ・マチネー、という駄洒落が頭に浮かぶのだが、それも元々この本から来ていたんだなあ。このアルバムは大好き。


CDと本を段ボール箱に詰めたら少しすき間が空いて、ちょうどCDが入るサイズだったので、穴埋めがてらあと10枚ほど追加した。もちろん、処分するCDに入っている音は十分なビットレートでMP3化してパソコンに保存してある。内蔵ドライブが飛んだときのために、外付けHDDにバックアップだって取ってある。現在持っているCDも、過去持っていたCDも、ポケットに入るサイズの小型ドライブに全部丸ごと収まってしまう。本当に便利な時代になった。モノとして持っている必要性を現時点で感じないCDは、こうやって音だけ吸い取ってどんどん手放していく。でも「瀕死の双六問屋」は、そんな風に付録CDだけデジタル化して手放すべきものではなかった。危ないところだった。本当に必要なものだけが荷物だ。でも、荷物を軽くしたいあまり「本当に必要なもの」までうっかり手放してしまってはいけない。

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当時の清志郎の自宅スタジオに、70年代の若き清志郎そっくりのワタナベイビー(ホフディラン)がしょっちゅう遊びに来ていたという話も、今になって読むと来るものがある。これを書いていた頃の清志郎は今の自分とほぼ同い年。若い世代と活発に交流し、自転車を乗り回し、フジロックにたびたび登場したり、あちこちに顔を出して元気に活動していた。この本を買った頃、それから10年も経たずにこの世を去ってしまうなんてかけらも想像しなかった。58歳の若さで亡くなるなんて。考えてみれば、ジョージと同じ歳だ。

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