訳詞:Gilbert O'Sullivan「Alone Again (Naturally)」

ギルバート・オサリバンが1972年にヒットさせた「Alone Again (Naturally)」は、自分が10歳の頃に聴きまくり、いわゆる洋楽ポップスにはまる決定的なきっかけになったテープに入っていて(これについてもいつか当ブログに書いてみたい〔後記:書いた〕)、それ以来ずっと自分とともにある曲。今年でちょうど発表50周年になる。定番中の定番曲だから、この曲の訳詞もすでにいくらでもネットに上がっていて、優れた訳がたくさんある。改めて自分なんかがやる必要はないのだけど、歌詞を細かく読み込んで自分のものにしたくなり、訳してみることにした。

この歌詞の内容が、曲調から受ける「懐かしくてちょっぴり切ないラブソング」というイメージを完全に裏切るつらく悲しい話であることも、知っている人は多いだろう。ちょっぴり切ないどころか、飛び降り自殺をほのめかす物騒な始まり方をするのだけど、よく読んでみるとただ闇雲に暗い歌詞でもないようだ。それまでは明るく陽気に生きてきた青年が、手ひどい挫折を経験して死を決意するものの、両親の人生と死を思い返して、失意の中から人生の真実を知る、という話に読めた。人間は皆、ひとりで生き、ひとりで死んでいくということ。歌詞に結末は書かれていないけど、主人公はもちろん自殺を思いとどまったと思う。ここで「Naturally」という言葉が生きてくる。歌が進んでいくにつれて「Naturally」の意味が諦観の方向に徐々に変わってくるように思えるのだ。だからそういう風に訳した。何だかつらつらと脈絡がないようにも思える歌詞なのだけど、言葉の選び方が本当に優れていると思う。

この曲の最後に出てくる、主人公が両親のことを思い出すくだりを訳していて、実はちょっと涙がこぼれそうになった。この曲、何千回と耳にしてきて完全に耳タコソングなのに、ふとした隙間から不意に心に入ってきて、しばらくううっと泣きそうになってしまうことがこれまで何度もあったのだ。今回も、ある朝そんなことがあったから訳すことにした。こういう力を持つ曲こそが、50年でも100年でも消えずに残っていくのだろう。

もうしばらく我慢しても
この苦い気持ちが収まらなければ
自分で解決することに決めた
そのへんにある高い塔に行って
てっぺんまで登る
そこから飛び降りてやるのさ
希望を台無しにされたら
どんな気持ちになるのか
思い知らせてやるんだ

教会で最悪な目に遭った
そこにいた人たちも言ってたよ
「なんてことを、ひどいもんだ
花嫁が式をすっぽかすなんて
もうこの場にいてもしょうがない
家に帰ったほうが良さそうだ」
僕も独りで帰ったさ
またひとりぼっち 当然そうなるね

つい昨日までの自分を思う
明るく愉快にやってたよ
僕が演じるはずだった役目も楽しみにしてた
まさかおじゃんになるなんて
まるで通り魔か何かのように
現実が襲ってきて
軽く触れただけの一撃で
僕を粉々に打ち砕いた

疑わずにいられようか
神の慈悲とは何なのかと
神様が本当に存在するのなら
なぜ僕を見捨てたのか
助けを必要としているときに
今まさに必要なのに
またひとりぼっち これが当然なのか

こう思えてきた
世界には傷ついた心がほかにもたくさんあって
癒やされずにいる
誰にも見向きもされないまま
どうすればいいんだ
どうすればいいんだろう

またひとりぼっち 自然とそうなってしまう

これまでの年月を振り返ってみる
ほかにもあんなことがあったなと
父さんが死んだときには泣いたものさ
あふれる涙を隠そうともせずに
そして65歳で
母さんも安らかな眠りについた
ただひとり愛した男が
なぜ逝ってしまったのか理解できないまま
取り残された母さんは
心がずたずたになってしまって
僕の励ましもむなしく
まったく何も話さなくなった
母さんが息を引き取ったときは
一日中泣きじゃくったよ
またひとりぼっち 自然とそうなるんだね
またひとりぼっち 自然とそうなるんだね

このバージョン、どうもレコードに合わせた口パクではないようで、普通に聴けるものとギターソロやエンディングなどが微妙に違っていて面白い。

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