訳詞:Jackson C. Frank「Blues Run The Game」

この曲を書いたジャクソン・C.フランクは、1965年にポール・サイモンのプロデュースでアルバムを1枚残したきりのフォークシンガー。自分がこの曲を知ったのは、サイモン&ガーファンクルによるカバー(1997年のボックスセット「Old Friends」に収録されるまで未発表)からだった。フランクもサイモンもアメリカ出身だが、同時期にイギリスに渡って当地のフォークシーンに関わり、そこで知り合った二人がロンドンで録音したのが、この曲を含むアルバムだという。1999年に56歳で亡くなったフランクの人生は、最後まで心の病に苦しめられ、まさにこの曲の歌詞を地で行くようなものだったようだ。でも、そんな風に人生を台無しにするほどのブルースに取りつかれていない幸いな自分にとっても、この歌詞に書かれているような気持ちはかなり身に覚えがある。こういう気持ちは、いつでも通奏低音のように自分の根底に流れているもので、そんな中で小さな楽しみや、なけなしの希望を見出しつつ、ここまで生き延びている。世の中で生きる人々の多くが、外面的にはどうであれ、本心では多かれ少なかれそんな感じなんじゃないかと、最近は思っている。だからこそ、50年以上前にロンドンの片隅でひっそり生み出されたこの曲が、たくさんのアーティストにカバーされつつ、今も忘れ去られることなく静かに聞き継がれているのではないだろうか。

イングランド行きの船に乗り込もう
スペインでもいいかもね
どこに行ったって
どうせどこに行ったって
俺の行く先々にはいつでも
同じ憂鬱がどっかり居座っている

ウィスキーを頼む
ジンも持ってきてくれ
俺とルームサービス
俺とルームサービスだけの世界
俺にはルームサービスがあればいい
俺たちは罪の世界に生きている

飲んでいないときは
おまえのことを思っている
眠っていないとき
しらふのとき
目覚めているときの俺は
いつだって涙に暮れてるだろう

別の街にもあたってみるよ
どこか別の都会へ
どこに行ったって
どうせどこに行ったって
俺の行く先々にはいつでも
あの憂鬱がついてくるんだけどね

人生はギャンブルだよ
愛も同じようなもの
どこで賭けをしても
俺がサイコロを振るときは決まって
どんな賭けに挑んでも
憂鬱にいいように打ち負かされる

明日かもしれない
たどり着いたどこかの街で目覚めたら
年老いてしまった自分に気付くだろう
ある朝 俺はすっかり年老いているんだ
年老いて目覚めた俺は
もうこんなゴタゴタとはおさらばするさ

イングランド行きの船に乗り込もう
スペインでもいいかもね
どこに行ったって
どうせどこに行ったって
俺の行く先々にはいつでも
同じ憂鬱がどっかり居座っている

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