松村雄策さんの「苺畑の午前五時」を読んだ

松村雄策さんが亡くなったことを知ってから2週間以上過ぎたけど、まだ心に穴が空いた感じは残っていて、松村さんの著作を毎日何かしら読んで過ごしている。これまで自分が読んだことがあるのは前に書いたように全著作のごく一部で、唯一の長編小説「苺畑の午前五時」もまだ読んだことがなかったぐらいだ。本当に遅ればせながら、これも手に入れて読まなければとは思いつつ、この本に関してはKindleで買う気持ちにならなかった。どうも電子書籍はまだ使い慣れないし、当時出たままの紙の本で読みたい気持ちがあった。なぜか「苺畑の午前五時」に関しては、ハードカバーの本が近所の古本屋ですぐに手に入るはずだという、確信のようなイメージが頭にあった。ブックオフでもない、もっと古ぼけて雑然とした感じの、地方都市でよく見かけるような場末のリサイクル書店。その店にはまだ一度も入ったことはなかったけど、床屋の近くにあるのでこないだ散髪ついでに寄ってみたら、書棚に居並ぶ松本清張の小説のそばに、やはり「苺畑の午前五時」のハードカバーがぽつんと佇んでいた。あまりにもイメージしたとおりだったので、「ああ、やっぱりね」と思っただけだった。その店にあった松村さんの著作はその一冊きり。レジに持っていって、100円を払った。コイン一枚で手に入れてしまうなんて、申し訳ないなあと思いながら。

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自分はフィクションの現代小説をあまり読まないのだけど、「苺畑の午前五時」はとても良かった。主人公の亮二は明らかに松村さん自身であって、すでに本人が語っていた実際のライフストーリーと一致する場面がたびたび出てきて、半ば自叙伝のような内容だった。小学生時代に初期ビートルズとリアルタイムで正面からぶつかり、中学生時代に来日公演を体験し、高校生時代はサージェント・ペッパーにホワイトアルバムにアビー・ロードと、完璧すぎるタイミングでビートルズとともに成長した青春物語。本当にうらやましいと思う。小説に描かれている高校生活は、自分のそれとは時代も行動もまるで違うのだけど、ビートルズの音楽で頭がいっぱいだったこと以外にも、この小説には自分と共通する点がもう一つあった。これも元から知っていたことだけど、亮二=松村さんの高校は、自分が通っていた高校のすぐそばにあるのだ。同じ高校ではないけれど、同じ地域。だから、通学路の風景なんてありありと想像できてしまう。60年代と80年代で20年の時間差があるけど、たぶんそんなに変わってはいなかったはず。自分は入学してしばらくすると、最寄りの地下鉄駅からぞろぞろと同じ制服の人々と学校まで並んで歩くのが嫌になってしまい、渋谷で乗り換える電車のラッシュもひどく苦痛だったので、そのうちまったく別のルートで通学するようになった。駅から学校まで歩く時間は倍以上になったけど、一人で気ままに歩いて登校するのは性に合っていて、以前よりずっと楽になった。小説では、月に何度か、学校帰りに電車に乗らず、友達とビートルズ話をしながら青山通りを渋谷まで歩くという場面がある。自分も、まったく同じことをやっていた。ビートルズ話の相手はおらず、一人で。

自分がビートルズを知った小学生時代、ジョンはもうこの世の人ではなかった。高校ではブラスバンド部で打楽器を担当して、ハイハットをカチカチ言わせながら、リンゴのエイトビートとフィルインをコピーしようと躍起になっていた。ビートルズのことで深い話ができる仲間は、誰もいなかった。周囲の洋楽好きが話題にする音楽は自分が聴きたいものとはだいぶ違って、仲間に入りたいとも思わなかった。大人になっても基本的にはずっと一人で音楽を聴いてきた。同じファン同士でマウンティングや派閥争いが起きたりするのを自分は心の底から嫌悪していて、そんなものを見るぐらいなら他者など不要、自分と音楽は一対一の関係でほかに何もいらない、と思って暮らしてきた。だから、自分の音楽世界の中に他人はほとんどいない。松村さんが亡くなって自分がこんなに喪失感を覚えるのは、その数少ない「自分内音楽仲間」の一人だったと勝手に思っていたからなのだろう。松村さんなら、後追いファンに何がわかる、なんてことは絶対に言わないと自分は知っている。小説を読んで、高校生時代に自分がビートルズやその他諸々のことを考えながら一人で渋谷まで歩いていた青山通りを、亮二も一緒に歩いていたような気持ちになった。60年代と80年代、20年の時間を越えて、とめどなくビートルズのことを話しながら、一緒に歩いてくれていたのだ。松村さんの著作を読んで、同じようなことを思ったひとりぼっちのビートルズファンが、おそらくたくさんいたに違いない。ジョージもいなくなってしまった21世紀のビートルズファンにとっても、そんな存在であり続けるのではないか。ビートルズと同じように、時代を飛び越えて。

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「苺畑の午前五時」、場末の古本屋で100円で手に入れてしまったけど、もし新しく再刊されたら今度は必ずきちんと買おうと思っている。もちろん、ほかの著作も揃えたい。

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