「Meeting The Beatles in India」を映画館で観た

先月の秋分の日に、「Meeting The Beatles in India」を映画館で観てきた。もう10月も後半に入り、秋分の日からはだいぶ時間が経ってしまった。観てからすぐに感想を書きたいところだったけど、その日の夜に映画とは関係ない用件で、あろうことか物損事故をやらかしてしまって、ブログどころではなかったのである。まったく、先月は本当にろくなことがなかった。ほったらかしのままではそのうち内容を忘れてしまいそうなので、今のうちに書けるだけ書いておく。


まず、この映画の実際の主役は、ビートルズではなかった。1968年、インド・ウッタラーカンド州のリシケーシュにあるマハリシ・マヘーシュ・ヨギの僧院で、ビートルズ一行とたまたま同時期に居合わせて8日間だけ一緒に瞑想修行をすることになった、本作の監督であるポール・サルツマンの自分語り映画、というのが実態だった。だから、インド、瞑想、そしてこのサルツマン監督という人物に興味が持てなければ、この映画を見る意義はほとんどなくなってしまう。結論から言えば、自分はとても面白く観ることができた。ムンバイ中心地にある、HMVスタジオの跡地をサルツマンが訪れるシーンがある。ビートルズとしてマハリシのもとに行く前月の1968年1月に、ジョージが単身渡印して「The Inner Light」と「Wonderwall Music」のインド音楽部分のレコーディングを行った場所である。自分はそのムンバイに8年前まで住んでいた。在住当時の自分はこういった「聖地巡礼」に無関心で、そこを訪れることもしなかったのだけど、今の自分がムンバイにいたら絶対に行きたい場所である。この映画がその聖地巡礼を代わりにやってくれたことになる。そんなわけでインドの光景は自分にとっては身近なものだし、瞑想にも関心はある。マハリシとは関係ないけど、10日間一言も発さずに静寂の中でひたすら自己観察を続けるヴィパッサナー瞑想は、いつか必ず体験してみたいと思っている。

ポール・サルツマン監督については、自分は映画に疎いので全然知らなかったけど、調べてみると映画やテレビドラマの世界で長年活躍し、業績を残してきた人物。本作は彼が関わってきた中でも一番パーソナルな作品ということになるようだ。

1966年に「Revolver」が出たときにはガールフレンドと一緒にレコードを聴き、「Tomorrow Never Knows」の瞑想的な歌詞に導かれて精神世界に関心を抱くようになり、という道筋が語られる。「Revolver」が発売された日には、ビートルズの新作アルバムをいち早く手に入れたい人々の長い行列がレコード屋の前にできていた、という話には驚いてしまう。今さらながら、現役当時のビートルズって、まさに文字どおりの社会現象だったんだな。若き日のサルツマンは父親との関係に悩みがあり、自分という存在そのものに疑問を抱き、「内なる声」によってインドに呼ばれ、本来専門外だった音響の仕事でインド行きのチャンスをつかみ、という流れで渡印することになる。そうしてたどり着いたマハリシの僧院でビートルズとの邂逅があったわけだ。

サルツマンは自分の行きたい場所に行った結果、まったく想定外の偶然でビートルズと一緒に8日間を過ごしただけで、ドキュメンタリーの取材に行ったわけではないので、肝心のビートルズとの日々に関しては写真と回想で綴られるのみ。「The Continuing Story Of Bungalow Bill」には実在のモデルがいた、という話は、この映画で語られて自分は初めて知ったので、へえ、そんなことがあったんだ、とは思ったけど、曲が今までと違って聞こえるほどでもなかった。僧院でのビートルズの素顔も、ファンなら容易に想像できる範囲内で意外性はない。もちろん、全ジ連なのでジョージがらみのエピソードはとても興味深く聞いた。ムンバイで録音したばかりの「The Inner Light」の歌なし演奏音源をジョージが持ってきていて、それをポータブルデッキで再生しながら、リリース前の同曲を本人が生歌で披露、なんていうあまりに羨ましすぎる話も出てくる。この曲でインド古典楽器の竹笛(バンスリ)を吹いているハリプラサード・チョウラシア師も、映画に短いインタビューで登場する。現在のインド古典音楽界で最大級の尊敬を受けている巨匠で、自分もインド在住時に何回かコンサートに行って演奏を聴いたことがある。ジョージの生涯の師であり友であったラヴィ・シャンカルは言うに及ばず、このビートルズ時代のムンバイレコーディングでも、ソロになってからのバングラデシュコンサートでも、ジョージと共演したインド古典音楽家の顔ぶれは本当にレジェンド級ばかりのそうそうたるもの。ビートルズパワー恐るべしである。

シヴクマール・シャルマ、ハリプラサード・チョウラシアの両師が68年ムンバイ録音に参加

サルツマンのインド再訪の旅にはマーク・ルイソンが同行していて、ムンバイのHMVスタジオ跡地にも一緒に行っている。ルイソンは「The Complete Beatles Recording Sessions」の著者であって、自分はこの本を高校生の頃に西新宿で手に入れてからずっとバイブルにしている。ビートルズ関連のあらゆるデータを世界で一番知り尽くしている人物だろう。どうしてこの人がこの映画に出てくる必然性があるのか、観ていてあまりよくわからなかったのだけど、ビートルズがレコーディングスタジオでテープに残した音を全部くまなく聴くという、自分にとっては世界中の何よりも一番羨ましい体験をした人物である。この人の脳を一日でも借りることができたら、どんなに素晴らしいことだろう。そのルイソンがムンバイを訪れるところが観られたのは、ちょっと得をした気分だった。

昔からなぜかインドといえば「自分探し」なのだが、21世紀に入ってからインドに渡った自分にとっては、この映画で描かれていたような60年代ヒッピー文化をルーツとする「インドで自分探し」という概念が、元からまったくピンと来ていなかった。探すべき「自分」が、インドのどこかに落ちているとは想像もつかなかったのだ。こんな広い大地のどこに行って、何をすれば「自分」が見つかるというのか。自分の故郷で見つからないものがインドでなんか見つかるものか。そもそも「自分」なんてものは、実体のないただの空っぽに過ぎないとしか思えなかった。でも60年代の欧米でビートルズと一緒に手探りで精神のありようを模索していた若者たちにとっては、「インドで自分探し」をするリアルな動機があったんだろう。本作にインタビュー出演していたパティ・ボイドも、1964年の「A Hard Day’s Night」でのあどけない女学生役から3年経つか経たないかのうちに夫のジョージと肩を並べて精神世界の追求に突き進み、パティ自らが率先してマハリシと出会い、この導師をビートルズと引き合わせることになる。ビートルズの音楽自体だって64年と67年では大違いである。こういう急激な変化を人々にせき立てた時代って一体何だったのか、70年代生まれの自分は後追いで間接的に知ることしかできず、いつも不思議に思っていた。旧来の価値観がガラガラと音を立てて崩壊し、この先何がどうなるのか見当もつかないまま、根拠のない希望と不穏さが渦巻いていた60年代後半の空気が、その当事者たちの語りで少しリアルに体験できた気がする。

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4人のどれかが入場者にランダムに配られるポストカード、自分がもらったのはリンゴ

サルツマンも彼自身の切実な理由から自分探しのためにインドに渡り、ビートルズはたまたまそこにいた。彼らに会えたことは偶然の産物で、サルツマンの目的ではなかった。だからこそ、同じく何かを探しにインドに来ていたビートルズ一行に、仲間としてすんなり受け入れられたのだろう。そんな得がたい体験をしたインドから戻って、その話をすぐさま売り物にしようとはせず、これまた「内なる声」に従って(ORICON NEWS掲載のインタビューより)貴重なビートルズの写真を倉庫に封印したという。ビートルズとインドで過ごした日々の思い出は心にしまったまま映像の世界で自身のキャリアを築いていき、写真のことは30年も忘れていたというのだから、そんなサルツマンという人もたしかに本物に違いない、というのが映画を見終わった自分の素直な感想だった。

Sexy Sadie, what have you done.

サルツマンはビートルズのインド滞在の一番いいところだけを見て帰った、ということもできるだろう。インド生活が肌に合わなかったリンゴ夫妻がいち早く帰国し、続いてポールとジェーンもタージマハルが見たいと言って帰り、残るジョンとジョージも最終的にはマハリシに幻滅する形でインド修行は終わった。それはそれである。帰国後に制作されたホワイトアルバムで明らかになったように、ビートルズはインドからたくさんのものを持ち帰った。そしてサルツマンが映画の締めに語っていたことは、うん、ほんとそれ、と共感できた。自分もインドで暮らしていた日々の中で、まったく同じ言葉がいつしか自分のマントラのようになっていたのである。あの歌詞、一体どこから出てきた言葉なんだろうか。愛するビートルズから、愛するインド、愛する音楽から、自分はたくさんのものを受け取ってきた。あの最後の一節に、ビートルズがどうやってたどり着いたのかが知りたい。彼らがインドと関わってきた体験の結晶が、そこに含まれていたら美しいな。

The love you take is equal to the love you make

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