No Music, Empty Life

海外生活中、日本に大量の持ち物を残していった。預けられる場所がないので仕方なくコンテナーをレンタルして、毎月賃料を払っていた。まったくお金をドブに捨てるようなもの。帰国後、家電などは年式が古くなってしまってすぐ壊れたりした。出国前に全部処分してしまえばよかったと、どれだけ後悔したか。そんなこんなで、持ち物に対しては憎しみに近い気持ちを抱くようになった。鞄ひとつでどこにでも動けるようでありたい。CDは、中身の音楽をパソコンに入れてしまえば、ガチャガチャしたプラスチックとちっぽけなライナーしか残らないので、あまり手元に置いておく必要性を感じなくなり、出国前にもだいぶ売り払ったのだけど、帰国後はさらに推し進めてほとんど処分してしまった。CD自体に思い入れのあるものや、手放した後で買い直すのが困難あるいは不可能そうなものは、手元に残してある。大した数ではない。いまは音楽配信の時代。とはいえ、配信で聴けないものや、配信で済ませられない重要性を感じる作品はやはりあって、CDを買うのをまったくやめたわけではない。そうスッパリとはやはり割り切れない。

「No Music, No Life」という某音楽ショップのキャッチフレーズ、とかく批判されがちだが、ある程度は自分にとって真実である。もし、そのお店で売ってるCDがこの世から全部なくなっても、生きていける。CDと音楽は等価ではない。ギターが弾けなくなり、レコードも配信も聴けなくなったらどうか。まあ、脳内演奏、脳内再生で何とかしよう。しかし、その脳内にいつでも流れている音楽がぱたりと聞こえなくなってしまったら。ノーライフとまではいかないかもしれないが、エンプティライフには確実になる。音楽なんかなくても十分生きていけるぜ、と言い切れないのはみっともないことだと思う。物心ついた頃から音楽に依存して生きている。でも逆に、ほかのものに依存しそうになっても、必要とあればやめることができるよ。

もしかしたら、「No Music, No Life」と否定が続くから良くないのかも。肯定に転じてみたらどうか。Yes Music, Yes Life。……今は落ち込み期間中なので、ライフにイエスと言うのがちょっとだけキツい。しかし、ミュージックはイエス。いつでも絶対に。

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昨晩聴きながら寝落ちしたレコード

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