Now hear this, Robert Zimmerman

今年の5月24日はボブ・ディラン80歳のお誕生日。これを書いている現在、日本時間では昨日になってしまったけど、アメリカではまだまだお誕生日の夜。今日80歳になったディランはきっと、今ごろは楽しい夜を過ごしていることだろう。自分はディランと同じ世界で同じ5月に生まれたことを勝手に誇りに思っている。おめでとうございます!


ディランやビートルズの世代がとうとう生誕80年を迎えることには、そんなに感慨はない。考えてみれば自分だって来年で50歳なのである。自分が50歳になるんだから、ディランが80歳になっても全然不思議ではないのだ。むしろ、ウィルベリーズをやっていた時期、40代後半のディランやジョージが、今の自分と同年代か少し年下だったことに何だか感慨を覚えてしまう。自分がウィルベリーズに接した高校生当時、ビートルズはあの4人組として、4枚でワンセットのカードとして絶対的な存在だった。対してディランは、自分にとって初めて、独立した一人のアーティストとしてのヒーロー。当時大好きだったのは、「Subterranean Homesick Blues」とか「Tombstone Blues」とか、トーキング唱法でまくし立てる攻撃的な曲が主だった。

まず自分を捉えたのはそういうブルースロックの元祖としての面だったけど、60年代作品の歌詞やディラン自筆のアルバムライナーに書かれた一見意味不明な文章にも次第に惹かれていった。英文・和文2冊組の分厚いディラン全詩集を買って、読みふけった。わかりやすく共感を呼ぶように書かれたものならそこらへんに転がっている世の中。全詩集に書かれていたディランの繰り出す言葉は、取り付く島もないように見えて、読み手を突き放すものでは決してなく、言葉の端々が心に引っかかり、何やら異国めいた風景が見えてくる。自分は歌詞を細かく分析したりしないし、できない。あくまで雰囲気でしか理解できないけど、ちょっと挙動のぎこちないタンバリン男が語る摩訶不思議な話に、いつまでも付き合って耳を傾けていたい気持ちになる。
ボウイがディランに捧げた歌。「美しきよそ者」としての存在感は、根本のところでやはり共通するものがあると思う。この曲でギターを弾いたミック・ロンソンは後にディランとも組むことに。

高校生だった当時、ロック好きだったけど平成初期のいわゆるバンドブームにほとんどついていけなかった自分は、同世代とロック話など全然しなかったけど、ひとりでディランを聴いていたり、ディランの書いた文章を読んでいたりした思い出ならたくさんある。寂しかった?全然。ディランのおかげで自分のいるべき世界というものが見つかった。そこにいれば誰にも疎外されることはないし、誰とも無理に付き合わなくていい。集団になじめなくても、ひとりぼっちの世界で心から満足して過ごせるのなら、問題は何もない。集団としての「和」を何よりも大切にする社会にあって、独立した個人として誇りを持って生きていればそれでいいんだ、と教えてくれたのが、ディランという存在そのものだった。自分にとっては何よりも大事な人生の真実を一番大切なときに教わって、今も教えてくれている。昨年4月の東京ライブハウス公演は、せっかくチケット買ったのにキャンセル。その元凶のコロナ禍は未だに終わりが見えない状況だけど、ディランのツアーだってネバーエンディングである。80歳過ぎてもずっと終わりなき旅を続けて、また日本にも寄ってほしい。数年前に横浜で見た70歳代半ばのディラン、まさしく孤高の境地で、素晴らしかった。80歳のディランはもっと素晴らしいだろう。

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