Red Garland「Nobody Knows The Trouble I've Seen」

昨年暮れに書いた「誰も知らない私の悩み」という曲についての続き。50年代に活躍したジャズピアニスト、レッド・ガーランドの演奏について書きたくなった。

自分はそれほど熱心なジャズの聴き手ではないし、ジャズの理論やギター奏法も興味はあるけど、勉強しようとすると脳が受け付けない。大手を振ってジャズファンですとは言えず、やや距離を感じる音楽なのだけど、元々がブルースから生まれた音楽だし、綺麗なメロディーやコード進行をもつポピュラー曲がよく取り上げられるので、主に50年代のものなら、ブルースとポップスの好きな自分は楽しむことができる。レッド・ガーランドについてもそれほど詳しくは知らなくて、マイルス・デイヴィスとの演奏のほかには、図書館で借りられた有名なリーダー作2枚だけがパソコンに入っている。作業BGMとしては長年にわたって散々聴いたけど、これまではレッド・ガーランド個人に焦点を当てて接してはこなかった。

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「Nobody Knows The Trouble I’ve Seen」が収録されている62年のアルバム「When There Are Grey Skies」も、最近になってSpotifyで出会った。ジャケットはモノクロ基調で、何やら荒涼として見える風景を、レッド・ガーランドが達観したような表情で眺めている。内容もジャケの印象と同じく、全編とても静かなアルバムで、さびれた雰囲気と言ってもいいぐらい。最初から最後まで一貫して地味で、聴いてて楽しい気持ちになることは決してないのだが、何となく胸の底にしみじみと落ちてくる演奏。妙に自分に近しいものを感じて手元に置きたくなり、CDも手に入れた。


この「Nobody Knows The Trouble I’ve Seen」の演奏では、冒頭5分かけて、美しいテーマがゆったり淡々と演奏される。夜中にしんしんと雪が降る情景のように、ひたすら静かに黒人霊歌のメロディーが降り積もっていく。やがてアドリブに入り、ブルージーなフレーズがやはり静かに淡々と繰り出される。これもゆっくりゆっくりと5分間以上続くのだが、終わりの1分ぐらい、ほんの少しだけ揺らぎが出てくる。ぐっと感情の波が高まったり、また波が引いたりするように聞こえるのだ。そして再び波が盛り上がってアドリブが終わり、テーマに戻った出だしのコード。はじめてこの演奏を聴いたとき、ここで耳がはっと捕らえられた。主音のメジャー7thコードに短3度の音が加わる、ピアノのドミソで言えば白鍵のミと黒鍵のミ♭がぶつかる和音。不協和音のようにも聞こえるコードだが、ジャズやブルースでは一般的に使われ、ロックギターの世界ではジミヘンコードとも呼ばれる。

長調と短調が同居してどちらともつかない、黒人音楽の性質そのものみたいな音の組み合わせなのだが、それまでじっくりと10分もかけて静かに穏やかに進んできたあげく、ここぞというところでこの真っ黒なコードが出てきて、少し驚きがあった。この音には何か特別な強い感情が込められている気がしたのだ。これは、この静謐で地味な演奏のクライマックスにひそかに吐露された、レッド・ガーランドの「私の悩み」だったんじゃないか、と思えてならなかった。

レッド・ガーランドは62年にいったんジャズ界から消えて故郷に戻り、70年代に復帰するまで約10年にわたって引退状態だったそうだ。この演奏が収録されたアルバム「When There Are Grey Skies」はその引退直前の最終作だった。「Nobody Knows The Trouble I’ve Seen」は、発表当時のアナログ盤では最後の曲として収録されていて、ラストアルバムのラスト曲、音楽活動にひと区切りつける前のスワンソングという雰囲気が自分には感じられる。そんな事情は知らずにぼんやり聴いていた自分の耳にも、去り際のジャズピアニストが残した別れの挨拶が届いてきたのだ。演奏が録音されてから半世紀以上の時を隔てて、不協和音のコードひとつで異国の聴き手の心にぐさりと刺さるものを残した。こんな力があったらまだまだ演奏家として十分に活躍できただろうに、余力を残して引退したように見える。時代の変化、家族の事情、個人的事情、さまざまな状況から潮時を感じて、華々しい世界から自らひっそりと退く決心をしたのだろう。最後のテーマの弾き終わりに、この演奏を締めくくる力強いエンディングは、音楽から身を引く決意を固めたピアニスト自身へのひそかなファンファーレのように聞こえてくる。

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