Mr. YT

訃報を受けたブログ記事を立て続けに書くのは気が重い。しかし、高橋幸宏さんは子供の頃から自分とずっとともにある音楽を形作った人。自分にとっては基本中の基本だ。ユキヒロさんについてここに何も書かないなんてことはあり得ない。またしても、とても大切な存在がこの世を去ってしまった。寂しい。

自分がYMOの音楽を好きになったのは、10歳前後、小学校3年生ぐらいの頃だった。当時の思い出については当ブログに一度書いたことがあった。ビートルズを認識するよりも少し前、自分が生まれてはじめて好きになった「バンド」という存在がイエロー・マジック・オーケストラだった。例によって、父がラジオから録音した特集番組のカセットが出会いである。そのカセットは「サーカスのテーマ~ファイアークラッカー」で始まり、「テクノデリック」の曲で終わっていた。リアルタイムのヒット曲として記憶にある「君に、胸キュン。」よりも前の時期、「テクノデリック」が出た後の1981~82年頃に自分はYMOの音楽に出会い、一気にのめり込んだ。当時、派手でポップなファーストと「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」と比べて、「BGM」「テクノデリック」は難解で取っつきづらいという評価だったようだけど、当時小さかった自分はアルバムという概念を認識しておらず、とにかくどの曲も等しく格好いいと思った。YMOの音楽に最初に熱狂的に食いついたのは、なぜか小学生男子だったという。自分も、1979年の「ライディーン」よりは少し遅かったけど、そんな一人だったのだ。


子供の頃はご多分に漏れず、YMOのビートはすべて機械が刻んでいるものだと思っていた。ユキヒロさんの担当パートが歌とドラムだということは知っていたけど、歌はともかく、ドラマーとしてはYMOの曲で何をやっていたんだろう、としばらく不思議に思っていた。ドラムパートのほとんどが実は人力だったと知ったときは、かなり驚いた。上に貼った、いわゆる「どてらYMO」の演奏を見たことがない人は是非まず見てほしい。シンプルな生演奏バンドとしてのYMOをしっかりと支える、とても心地よいビート。ユキヒロさんの名ドラマーぶりがこれほどわかりやすく伝わる映像はないだろう。

ドラマーとしてのユキヒロさんを意識すると、まさに機械のように正確に刻まれるビートの合間に入るフィルイン、いわゆる「オカズ」のフレーズがとても強く印象に残っていることに気付き始める。ダダダッ・ダダダッ、とか、ダンダダダダドッ、とか、どの曲のどこにどれが入っているのか即座に多くを思い出せるほど、これらのフィルインは楽曲と一体化した要素になっているのだ。これはYMOだけでなく、ユキヒロさんがドラマーとして参加した当時の歌謡ヒット曲についても同じこと。プログラミングではなくユキヒロさんのスティックから生み出されていたフレーズの数々は、テクノポップという前提があるので手触りは機械的に感じられても、その実質はそらで歌えてしまうようなメロディーにあふれていた。ユキヒロさんは「歌うドラマー」だっただけでなく、「ドラムで歌う」ドラマーでもあったのだ。このフィルインの数々が子供の頃から自分の奥深くに浸透していて、自分を構成する一部になっている。忘れることは一生ない。


Twitterをやっていた頃、自分はたしか始めてからすぐにユキヒロさんのアカウントをフォローしていて、ご本人がぽつぽつと発信していたと覚しき言葉を何年も日常的に見ていた。控えめで、繊細で、近しい人々のことを愛しく思う温かさ、優しさ、そして裏腹の深い孤独感が同居する、イメージ通りのツイートぶりだった。残されたツイートを久しぶりに見てみると、去年の6月7日付けが最新の投稿で、70歳のお誕生日の翌日に書かれたようだ。


ユキヒロさんがTwitterで生前最後に発した言葉は「愛こそすべて」「ありがとう」だった。リンクされているInstagram投稿を見てみれば、3枚目の写真のとても目立つ位置に、ジョージのポートレートが。マーティン・スコセッシ監督による伝記映画「Living In The Material World」のコレクターズ・エディションDVDのパッケージだろう。自分も同じものを持っている。ジョージを深く敬愛していたユキヒロさん。この写真を見るだけでも、深いジョージ愛が伝わってくるようだ。ビートルズのジョージ曲「It’s All Too Much」をソロアルバムでカバーしていたことは前から知っていたけど、音楽家としても人間としてもあらゆる面でジョージのことを尊敬していて、あのヴォーカルスタイルも実はジョージを大いに意識したものであったことは、自分はTwitterで教えてもらうまで知らなかった。言われてみれば、確かに、である。


こうやって、あまり関係ないと思っていた大好きなもの同士が、奥深いところで実はつながっていたことを知るのは、その両者がともに好きであることを強く肯定された気持ちになって、とても嬉しいものだ。ジョージやビートルズへの思い、その他の音楽に関するあれこれは、2012年の著書「心に訊く音楽、心に効く音楽」にユキヒロさん本人の言葉で詳しく書かれていると知って、取り急ぎKindle版で手に入れたところ。この本については、これからじっくり読んで、またここに感想を書きたいと思っている。

音楽以外にも、大変個人的でどうでもいいことだけど、高橋幸宏さんについて思い出すことが一つある。20代の頃の自分は頻繁に吉祥寺をうろうろしていて、駅前のパルコにユキヒロさんが立ち上げたブランドのお店が入ったときに、のぞいてみたことがあった。自分はファッションには極度に疎く、ショッピングモールで普通の洋服屋に入っても、どこに何が置いてあって、何を買ったらいいのかわからなくなって混乱してしまうほどなのだけど、それでも高橋幸宏の名を冠したお店が目の前にある以上、ファンとしては無視するわけにいかなかった。とりあえず入ってはみたけど、上記の通りなので何をどうしたらよいものか分からず、ほとんどパニックを起こしかけていた。店員さんは明らかに挙動不審だったはずの自分に優しく接してくれて、とにかくジーンズを試着したのは覚えている。そこで記憶は途切れていて、結局そのジーンズを買ったのかどうか、訃報に接した直後には思い出せなかった。もう20年以上前のこと。何も買わずに終わっていたとしたら、ちょっと自分にがっかりである。でも、しばらく記憶の井戸の奥深くにバケツを下ろしてみたら、ちゃんと購入していたことを思い出せて、ほっとした。当時はベルボトムのジーンズをよく穿いていて、そんな形のものを買ったのだった。お値段は普段買うリーバイスの倍ぐらいしたし、裾の直しも量販店みたいにその場ですぐとはいかず、後日改めて取りに行った。まったく柄ではないのだけど、ユキヒロさんのお店のジーンズを手に入れることができて、とても嬉しく誇らしい気持ちで袋を抱えてパルコのエスカレーターを降りた。実際、自分はケチなので、高橋幸宏の名前だけで普段の倍もする値段のものは買わない。お金を出す価値のある一品だったので買ったのだ。すり切れるまで愛用して今はもう手元にないけど、記憶は残っている。そして、お店にご本人がいたわけではないけど、場違いなボロい風体をしていたに違いない自分に親切に接客してくれた店員さんを通じて、ユキヒロさんの温かく細やかな優しさが伝わってくるような感じがしたのも覚えている。あのときの店員さん、25年ぐらい前のことだけど、ありがとうございました。

巨大な存在が立て続けに去ってしまって、どう反応していいのかわからず、思うことをとりあえず文章にまとめようとじたばたするばかりだ。今朝は「FLASHBACK(回想)」の「ひびわれた 僕の心 どこかに すててしまおう」という一節がずっと頭の中をぐるぐるしていた。ユキヒロさんのソロ作、まだ聴いていないものもたくさんあるのだけど、これは子供の頃から聴き知っている曲で、当時から大好き。甘い記憶のゆりかごに揺られているような気持ちになる。これを歌ったユキヒロさんは「ひびわれた心」をどこにも捨てられず、ずっと大切に抱えながら70歳まで生きてきたのだ。心のひびわれからにじみ出てくる、たくさんの涙をこらえながら。ユキヒロさん個人のことを自分はほとんど知らないけれど、何だか勝手にそんな風に思えたのだった。高橋幸宏さん、たくさんの素晴らしい音楽を本当にありがとうございました。自分の一部です。どうぞ安らかに。

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