サンフランシスコでジョージの足跡をたどった思い出

新型コロナウイルスのせいで外国への渡航が難しくなるまで、数年間にわたって仕事でアメリカに毎年呼ばれていた。自由行動のできる週末には、宿泊先から1時間ちょっとで行けるサンフランシスコに何度か遊びに行った。何だか今にして思えば信じられないようなことがやれていたものだ。ジョージのことを思う20年目の11月、前回記事で1974年北米ツアーのことを書いていたら、ジョージとサンフランシスコの関わりのことを思い出したので、自分のサンフランシスコの思い出も交えて書いてみることにする。

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ジョージがパティと一緒に初めてプライベートでサンフランシスコを訪れたのはビートルズ時代、サマーオブラブ真っ盛りの1967年8月のこと。ハート型のサングラスを掛け、まずは誰にも気付かれずに「ヒッピーの聖地」ヘイト・アシュベリーの街を歩き、ほど近いゴールデンゲートパークに入ったという。公園内にある「ヒッピー・ヒル」と呼ばれる丘では、1人の若い男がギターを弾き、長髪の若者20人ほどが集まっていた。ジョージはそのミュージシャンからギターを借りて演奏し始め、当然だがとうとう若者たちに気付かれる。大量に群がってきたヒッピーたちを引き連れ、ジョージは公園を出てヘイト・アシュベリーの街路を歩いた。ギターを抱えて歩くジョージを追って、ヒッピーたちの群衆はどんどん増えていったという。ジョージは後年、このときのことを失望した体験として語っていて、どうやらあまり良い思い出ではなかったようだけど、とにかく67年にジョージはここに足跡を残したのだ。その足跡をたどるべく、自分もある年の出張中、週末の休みにサンフランシスコに向かった。まずは、サンフランシスコ行きの鉄道の車窓からカウ・パレスをチェック。

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1974年北米ツアー中にジョージが演奏した会場のひとつがここなのである。ビートルズ時代にも64年と65年にカウ・パレス公演が行われた。ビートルズ最後の公演地として有名なキャンドルスティック・パークもサンフランシスコにあったけど、2014年に閉園していて、その最後を飾ったのはポールのコンサートだったという。カウ・パレスを眺めてからほどなくしてサンフランシスコ中心街の終着駅に着く。市電に乗り換え、ヘイト・アシュベリーの交差点に一番近い駅で降りた。

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ヘイト・アシュベリーというのは、ヘイト・ストリート(Haight St)とアシュベリー・ストリート(Ashbury St)という2本の街路が交差する地点のこと。ギター抱えたジョージがヒッピーたちを引き連れて行進したヘイト・ストリートを歩き、レンタル自転車を借りた。ゴールデンゲートパークはすぐそこだ。公園に入って、ヒッピー・ヒルへ。

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21世紀のヒッピー・ヒルでは、長髪を振り乱してギターをかき鳴らす代わりに、打楽器のジャムセッションが行われていた。晩夏の日差しの下、のどかな雰囲気。ジョージがここに来たんだなあと思いながらしばらく演奏を眺めた後、公園内にある植物園に入ってみたら、睡蓮の花が見られた。

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ジョージゆかりの公園で咲いていたこの美しい蓮の花にもジョージを感じ、かなり満足した。レンタル自転車をこいで、ゴールデンゲートブリッジに向かう。地図で見たら公園から近そうだったので自転車で行ってみることにしたのだが、実際には橋にたどり着くまで意外と距離があった上に、急な登り坂も多く、橋の手前は丘陵地帯。自転車で行くにはかなり大変な道のりだった。坂の街、サンフランシスコをなめてはいけないのである。

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必死に自転車をこいで橋に到着し、向こう岸まで渡って戻り、サンフランシスコ随一の観光地を楽しんだ。へとへとになって自転車を返しに行く帰り道、観光地の中華街とは違う、地元民の中国人が買い物に集まりそうなエリアを通る。そこにぽつんと一軒の本屋兼レコード屋を発見して、こういう変わったところにある店はもしかして穴場かも、と入ってみることにした。

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入り口の張り紙に「アナログレコードがMP3業界を殺す」とある。いい心意気だ。期待を膨らませつつ店内に入ってアナログコーナーに行くと、真っ先に目が合ったのがこのレコード。

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売り場の入り口正面、最前列に並んでいた。うわっ、待っててくれたのか!と思った。ジョージの棚には「慈愛の輝き」のアナログもあった。「33&1/3」と「慈愛」はジョージの作品中でも自分にとっては頭一つ抜けて特別な作品。ぜひアナログで欲しいと思っていて、レコード屋を訪れる機会があればまずジョージ棚をチェックしていたけど、まだ一度も見かけなかった。ヒッピー・ヒル訪問の後、頑張って山登りサイクリングをした帰り道、偶然たどり着いた店でジョージの特別なレコード2枚に出会えたのがほんとに嬉しくて、この日はここが最高潮だった。ジョージが導いてくれたとしか思えなかったのだ。2枚とも12ドルで、もちろん即決購入。「慈愛の輝き」は2枚あったので、1枚はお買い上げ、残りはもちろん「33&1/3」の代わりに一番目立つところに陳列しておいた。慈愛の輝くレコード屋になった。

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レンタル自転車を返した後、もうひとつ寄りたい場所があった。ヘイト・アシュベリーの一角にある無料クリニック。自分が治療を受けたいわけではない。この地にヒッピーが溢れていた67年、フラワーパワーの熱気が去った後には、麻薬中毒患者が残った。治療費を払えない彼らを救うための無料クリニックがこの場所に開業していたのだが、財政難から閉鎖の危機にあった。74年に北米ツアーで当地を訪れたジョージがこのクリニックを訪れ、初回公演の収益をすべて寄付して危機から救ったのだという。その場所を写真に収めておきたかったのだ。

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このときのことは、以下の記事に詳しい。ジョージとサンフランシスコの関わりをまとめたもので、67年のヘイト・アシュベリー訪問についても書かれている。

Harrison had love-Haight relationship with S.F. / Former Beatle bolstered Free Clinic, but found hippies ‘hideous’ (SFGATE)

この記事によれば、1974年のカウ・パレスでの公演翌日にクリニックを訪れ、66000ドルを寄付した。「僕に感謝しないでくれ。僕らの上にいる『ほかのもの』が、自分みたいな人間を通じてこういう行いをするんだ。自分は単なる道具に過ぎない」と語り、「The Lord Loves the One」を歌ったという。67年にヘイト・アシュベリーを訪れたときには、ヒッピーの自堕落な様子に幻滅したと語っていたジョージだけど、当地の麻薬中毒患者を自業自得と切って捨てることはせず、7年後に同じ場所で大金をぽんと寄付した。その74年からさらに長い年月が過ぎ、ジョージはこの世を去ってしまったけど、ジョージが支援したクリニックは残り、音楽の溢れる雰囲気もまだ健在だった。ここまで見届けて、ジョージの足跡をたどるサンフランシスコでの休日を締めくくった。とてもいい思い出。

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あのとき買った2枚のレコードは今でも、この先もずっと、自分の大切な宝物。

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