志村けん

ここ一ヶ月以上、色々とありすぎである。今のところ自分自身は至って健康。37度以上の発熱もなければ風邪のような症状もない。匂いも味も感じるし、春になって花が咲けば美しいと感じる。そんなまだまだ長生きしそうな本人は、自分が明日死んだってそういう運命ならしょうがないと思っているのに、もっと長生きすべきはずの世界にとって大切な人たちが次々と不慮の死を遂げて、たくさんの人々を悲しませている。自分にとって一番ずしんと来たのは、志村だった。志村さんでもなければ、ケンちゃんでもない。呼び捨ての志村。「全員集合」や「大爆笑」でドリフの絶対的リーダーであるいかりや長介に「志村ァァ!!」と頭ごなしに怒鳴りつけられ、頭をはたかれまくっても決して屈せずに、いかりやの背中の後ろで白目をむいてベロを出していた、あの下っ端のクソガキ然とした志村である。

成人するまで暮らした実家は、誰かが起きていれば常に居間のテレビがついているような家だった。昭和後期の家庭はたいていどこでもそうだったはず。高校生ぐらいまでの暮らしの記憶は、テレビと密接に結び付いている。小学校低学年の頃はドリフの「全員集合」を毎週土曜日に必ず見ていた。当時は週休二日制ではなく、土曜日は午前中だけ授業があるのが普通だった。昼に帰宅してからが楽しい週末の始まりで、夕飯時から寝る前まではずっとテレビを見て過ごしていた。夜7時の「まんが日本昔ばなし」、7時半には大橋巨泉のクイズダービー、そして8時からの「全員集合」という流れが定番で、週末が始まる楽しさの象徴みたいなものだった。小学校3年生の頃、父の転勤で東京23区内から千葉県に転居するという大きな出来事があり、都内の団地から田舎の小さな庭付き一軒家へと住環境が大きく変わった。今でもよく覚えているのだが、引っ越し初日は土曜日だった。団地以外の場所で暮らすのは、自分が物心ついてからは初めてだった。慣れない夜の暗さと寂しさに、とても心細い気持ちになったのだが、とりあえず父がテレビをつけると、アンテナも調整できてなくてノイズだらけの小さなブラウン管に、いつものドリフが登場。そんなことで、これまでの生活が戻ってきた気がして、ほっと安心することができた。この引っ越しの夜に映りの悪いテレビで見たドリフの記憶は、たぶん一生忘れることはないだろう。


志村がソウルミュージックの大ファンで、音楽ライターも裸足で逃げ出す熱いディスクレビューを雑誌に寄稿していたことなど、「全員集合」を楽しみに見ていた当時は知るよしもなかった。でも、小学校低学年だった自分に黒人音楽の手ほどきをしたのは、紛れもなくドリフだった。JBでもオーティスでも、ましてやマイケルでもなく、ドリフ。JBのバックで鳴り響くホーンセクションを聞けば、必ずドリフの番組の随所を彩っていた音楽を思い出すし、何といっても「早口言葉」のコーナーが大きい。単に早口言葉をしゃべるのではなく、ウィルソン・ピケットの「Don’t Knock My Love」という曲をベースにした(これもだいぶ後年になって知ったこと)伴奏に合わせて、ブルースのフレージングで「生麦生米生卵」のような早口言葉を歌う。ピアノの白鍵のドを基準にすると「ドドドドミbミbファファソソソソソ」のようなマイナースケールで「生麦生米生卵」を歌うのだが、音符どおりにそのまま歌っても、全然ブルースにはならない。後年、ブルースギターのコピーに熱中するようになって具体的な方法がわかったが、ミbは黒鍵より少し高くなければならないし、最後のソは白鍵のソまで上がりきらずファ#に近く、しかしそれとも微妙にずれながら揺らぐ感じでなければならない。これを耳で理解して歌い(弾き)こなせれば、ブルース、黒人音楽に近づくことができる。毎週ゲストが登場して早口言葉を披露するのだが、西城秀樹のようにブルースやロックをちゃんと歌えるシンガーが登場すると、ものすごく格好よく決まって「おおおっ!」と思う。一方、黒人音楽を知らないアイドル歌手がピアノの白鍵・黒鍵どおりに歌うと、まったく気の抜けた感じになってしまう。この違いは小学校低学年でも直感的にすぐ理解できた。ブルースの極意を小学生の自分にわかりやすく教えてくれたのが、ドリフの早口言葉だったのだ。

結局、音楽話になってしまった。「全員集合」を土曜日の楽しみにしていた子供時代だったが、やがて8時からの裏番組として「ひょうきん族」が出てくると、ドリフよりそっちのほうが面白いということになって、チャンネルが6から8に変わる。中学校に上がる頃になると「全員集合」は終了して「加トちゃんケンちゃん」の時代になり、それもクラスメイトとの話題に上るので一応見ていた記憶があるが、ビートルズに夢中だった自分は徐々にテレビ自体を見なくなっていき、志村けんは自分の現在から遠ざかっていった。だから、自分にとっての志村けんは全員集合に出ていた「志村」。あの志村が、2020年現在の世界を席巻しまくっているあの病気にやられて、あっけなく亡くなってしまうなんて。最年長のいかりやの次が、最年少の志村だなんて。

志村、お疲れさまでした。ありがとう。安らかに。

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