旅猫たちとインドで暮らしていた

8年間暮らしたインドを後にして日本に飛び立ったのが2014年10月3日、今日でちょうど5年になる。あれから一度もインドの土を踏んでいない。帰国前に、お世話になった色々な人たちに会いに行き、別れの挨拶をした。どの人と別れるときにも、また必ず帰ってきます、と言った。空港で出国手続きをするときも、8年のインド滞在を終えた自分に、イミグレーションの係官が「また帰ってきなさい」と言ってくれたのをよく覚えている。関西で生まれて物心ついたときには東京にいて、その近辺をあちこち転々として育った自分に本当の故郷はないけれど、「第2の故郷」なら色々な場所にある。5年前に離れた第2の故郷への「帰郷」はまだ果たせていないし、将来の具体的な予定もない。5年の日本生活で当時の自分と心情的にも離れてしまった。でも帰国直前に、まだここで生活を続けたかった、少なくとも10年は暮らせるぞ、と思ったこともはっきり覚えている。もうインドはたくさんだ、日本に戻りたい、と思って帰ってきたわけではないのだ。中途半端にやり残してきたこともある。いつの日か必ず帰って、続きをやりたい。

渡印前から日本で一緒に暮らしていた2匹の猫を飛行機で同行させてインド生活に引き込み、片方の猫は13年の生涯を異国で終えたが、もう片方は5年前の帰国時もピンピンしていた。すでに高齢猫だったが、帰国から4年半経った今年の4月下旬まで超高齢の老猫様として生きながらえたのである。あらためて、すごい猫だった。帰国のための検疫手続きでは色々と苦労したが、遠い海の向こうからまた一緒に帰国できて、つい最近まで21年間も同じ家にいてくれたなんて、信じがたくありがたいことだった。帰国の機内ではエアインディアの客室乗務員のお姉さまがたに「きゃー、猫ちゃん!キュート!」と連れ去られてしまい、しばらく戻ってこなかった。そんなスター扱い?も受けつつ、21年の生涯で本当にたくさんの場所に行き、たくさんの経験をした猫だった。いや、自分勝手な飼い主があちこち連れ回し、大変な経験をさせた、というのが正しい。


5年前、成田空港から移動中にこんな新宿西口のど真ん中で老猫様を散歩させる珍事も

日本とインドを往復しただけではなかった。インド国内でも、帰国が視野に入ってきた時期から何度か老猫様を車に乗せて旅行に連れて行った。猫は移動が苦手だとよく言われる。「犬は人につくが猫は家につく」とか。どの猫も本当にそうなのだろうか。老猫様と旅をしても大丈夫か見極めるために、2泊3日ほどの小旅行に何度か連れ出した。車が走っている最中はとても怖がって大声で騒いだりするのだが、車内に置いたトイレで排泄できるようになって長時間移動も大丈夫そうだったし、宿に入ってしまえばとても落ち着いていた。なぜそんな実験をしていたのかというと、前にも書いたと思うが、インド生活の締めくくりに、住居を引き払って住所不定の状態で1カ月半ほどの大ドライブ旅行に出ることを計画していたから。その長旅に猫を連れて行くべきか否か、かなり思い悩んでいた。高齢のため腎臓の数値なども悪くなっていて、一時は友人宅に預けることに決めかけてもいた。でも、当時すでに高齢だった彼女と、言いたくはなかったが「最後の思い出づくり」をしたいと内心思っていた。点滴や療法食で腎臓の数値をできるだけ改善させた上、旅への適性があることも確かめられたので、思い切って連れ出した。出発して最初の宿泊地に向かう道中、急に激しい雨が降りだして、晴れたら大きな虹が出た。路肩に停車して虹を眺め、この旅は幸運に守られている、きっとうまくいく、と確信した。実際、うまくいった。大きな事故もなく、行く先々で思い出は作れたし、先にこの世を去った相方猫の散骨もできた。散骨させてもらった砂浜は漁師村の近くで漁船がたくさん浮かんでいた。生前は結石持ちで美味しくなさそうな療法食しかあげられなかったけど、ここなら新鮮な美味しい魚が好きなだけたらふく食べられるだろうと思った。

上の写真がその砂浜。このとき、海の向こうに見えている橋に行き、さらに向こうにある有名な鉄道橋を眺めた。列車が通るのを待ち構えていたらすぐ来た。一緒にこの光景を眺めた老猫様が鉄道に興味があったかどうかはわからない。

有川ひろさんの小説「旅猫リポート」を読んだのは、あの旅のずっと後、つい先日のことだった。今年8月のアメリカ出張に出かけるときに成田空港の書店で買って、滞在先で読む余裕はあまりなかったが、帰国の道中で一気に読み終わった。主人公が大切な飼い猫を連れて、色々な土地の知り合いを訪ねながら車で旅をする。自分が5年前に老猫様と一緒に出かけた旅と重ね合わせずにはいられなかった。あのとき、猫を同行させる決断ができて本当によかった。老猫様だけでなく、亡くなった相方の猫も遺灰の形で一緒に旅をして、南インドの美しい砂浜に眠らせることができた。今はどちらの猫もこの世にいなくなったが、猫たちと旅をした思い出は今も鮮明だし、一生残るだろう。年老いた猫を旅行に連れて行こうかどうしようか思い悩んでいたとき、もしこの小説を読んでいたら、きっと旅に連れ出す決心を力強く後押ししてくれていたはず。

旅行初日に虹を見たことを書いたが、「旅猫リポート」にも虹が出てきたし、ナナカマドという木がとても印象的に描かれていた。5年前に帰国してから暮らしている土地にはナナカマドのちょっとした名所があって、そこでこの鮮やかな赤い実と紅葉が目を楽しませてくれる木のことをはじめて知った。まず9月に実が真っ赤になる。それから、10月から11月にかけて葉が緑から赤へと色づいてくる。緑、オレンジ、赤とさまざまな濃淡を持つ葉に彩られ、真っ赤な実を飾りに付けたナナカマドは本当に美しくて、毎年眺めに行っている。だから「旅猫リポート」に身近なナナカマドが素敵な形で出てきたのは嬉しかった。しだいに複雑に移り変わっていく濃淡が楽しめるこれからの季節に、もう一度読んでみたいと思う。

帰国翌年の10月、ナナカマドの濃淡の美しさにはじめて気が付いたとき、写真をたくさん撮った。以下4枚はすべて同じ日に同じ場所で撮った写真。

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11月になるとナナカマドは真っ赤に燃え上がる。このあと、氷点下の真冬になって葉が枯れても赤い実は残る。

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