引っ越しが終わり、半年ぶりにCDとレコードを自部屋に並べる

先週の水曜日が引っ越しの決行日だった。仕事を一週間休んで必死になって段ボールに突っ込んだ旧居の家財一式を引っ越し業者のトラックに積み込んでもらい、空になった旧居を去って新居に向かった。旧居から新居まで車で5時間ほどかかる。夜遅くに到着し、翌朝には引っ越し業者のトラックから家財一式が新居にどさどさと放出されて、とりあえず引っ越しは無事に終わった。3年前にも同じことを逆方向で実行したので、本当にお金と労力ばかりかかってバカみたいである。もう、こんな大掛かりな引っ越しは死ぬまで二度とやらないつもりだ。段ボールだらけの新居も少しずつ形になってきて、自部屋にCDとレコードを並べることもできた。


CDもレコードも、プレイヤーは昨年9月の水害で水浸しになって壊れてしまい、今のところは再生できない。レコード棚も被災時に捨ててしまったので、床の上にじかに置いている。とりあえず、これでいい。CDとレコードは、水浸しになった家財を片付けるときに物置部屋に積み上げたまま、再生機器もないのにわざわざ自部屋に並べる気にもならず、放置していた。こうして改めて並べてみると、やはりかなり数が減ってしまったことを実感する。特にCD、これでほんとに全部?と残りを探しそうになるが、水浸しでふやけてしまったものはすべて処分したのである。自分の意思では絶対に手放さなかったはずの品々もたくさん捨てた。とにかく、半年ぶりに、自部屋にCDとレコードを並べることができた。これで十分だ。ようやく自分の世界が戻ってきつつあるのだ。あの9月の水浸しの日から、なかなかにしんどい半年だったけど、やっとここまで来た。

しかし、何だかまだ実感がわかない。自分は旧居に戻らなくていいんだろうか。すべてが慌ただしすぎて頭がついていかない。新居から初めてのゴミ出しに出かけ、ちょっと散歩でも、とゴミ集積所近くの遊歩道入り口から山に登ったら、澄んだ青空と遠く連なる美しい雪山の眺め。ああ、自分はここに帰ってきたんだ、と思った。元より縁もゆかりもない土地だけど、たしかに自分は「帰って」きたのだ、とぼんやりした頭で感じている。

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