消えるべきものは消える、残るべきものは残る

去年の10月10日にブログを書き始めてから昨日で150本目の記事を上げたところ。何かしら毎日のように書いているが、上げた記事を熱心に読んでくれるのはボットやクローラーばかりで、人間にはほとんど読まれていないことを自分は知っている。でもこの形でひたすら書き続けたい。イマココのことをちょこちょこ書いては、いいね、してもらったり、ごくたまに拡散されたりするのは、ここ数年で散々やって、自分には向いてないことをはっきり自覚した。もうそこには戻らない。このブログに上げる文章はただの自分の小さな分身。それは、いいね、でも、よくないね、でもない。ふーん、でいい。イマココでたくさんの人にぱっと読んでもらえなくても、数年後、数十年後に記事のどれかが何かの拍子に誰かのブラウザに引っかかって、読まれたらいいなと思う。あてもなく流されるメッセージ・イン・ア・ボトル、もしくは、太陽系外を現在もまっしぐらに飛行中のボイジャー1号に積まれた、宇宙人に向けたレコードみたいなものかもしれない。いや、別に地球人の代表として書いてるわけじゃないが、宇宙でひとりぼっちの自分が書いては宇宙空間に流しているので、数万年後には宇宙人が読んでくれるかもしれない。でもたまには読んでね、人間も。

毎日のようにネットに浮かんでは消えるトピック。いくら激しく炎上したって一週間、長くて一ヶ月も経てば、もう誰もその話題のことを覚えてはいない。虚しいものだ。それでも、残るべきものは残り、語り継ぐべきものは語り継がれる。忘れてはならないものは、決して忘れ去ってはならない。やり方を知っている人物がしかるべき戦略を立てれば、一時的に世間の話題をさらうことはたぶんそれほど難しくないのだろう。しかし消えるべきものは遠くない将来、必ず消える。時は親切な友達だが、冷酷な殺し屋でもある。浮かんできたあぶくをすくい取って3秒で書き散らした言葉は3秒でぱっと消える。でも、長い年月を悩み苦しみ迷いながら暮らしてきた経験にまっすぐ向き合い、心の井戸の底深くから湧いてくる言葉を慎重に汲み上げ、選び抜き、真摯に書かれた文章は、きっとどんなに時間が経っても残る。そんな文章を読ませてもらった。

自分の中には、後世に残すべきものは何一つない。何もないのだが、ないなりに、数十年後に縁もゆかりもない誰かに(もしくは数万年後に、縁もゆかりもない星の知的生命体に)読んでもらっても、恥ずかしくないような文章が書ければと思う。何これ、古くさっ、ではなく、普通にふーん、と思ってもらいたい。

当ブログの自称テーマアルバムより。このアルバムはもちろん、後世に残るべきど名作。

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