Nirvana 1992年2月19日東京公演から30年

今から30年前の1992年2月に、ニルヴァーナが「Nevermind」ツアーで後にも先にも一度きりの来日公演をした。20歳を目前にした大学1年生の自分は、2月19日の東京・中野サンプラザ公演を観に行った。当時暮らしていた実家からバス一本、何なら自転車でも行けるような場所だった。もう30年も前のことなので、細かい記憶はだいぶ薄れたけど、まだそれほど遠くないことのようにも感じる。本当に忘れてしまわないうちに、今の自分が思い出して書けることをここにずらずらと書いていく。要するに昔話である。

まず覚えているのは、会場に入ったら立て看板があって、演奏時間はアーティストの意向により1時間程度なのでご了承ください、という内容が書かれていたこと。こんな但し書きがあったライブは、後にも先にもこのとき以外は記憶にない。こんな看板を見ても、まあそうだろうよ、と思うだけでひとつもガッカリしない。自分は2時間たっぷり楽しませてくれるエンターテインメントショーを見に来たのではない。そういうのは80年代でおしまい。ニルヴァーナは1時間で燃え尽きるほどの強烈なものを見せてくれるのだろう。まさにそういうものが観たい気分だった。ライブに臨む当日の空模様も、自分の気分も薄ら寒くどんよりとしていて、これこそニルヴァーナを観に行くのに最高の日和じゃないか、と思っていた。元気出して、だとか、夢は必ずかなうよ、だとかいった「応援ソング」が当時の日本では流行していたけど、どうにもうまく表現できない鬱屈した気分に対してはまったく無効だった。無理に何かポジティブなものに転換するのでなく、鬱屈のまま大音量で爆発させるようなものを切望していた。

会場に集まった観客は外国人が多かった。実際のところはわからないけど、半分以上が外国人だったという印象が自分の中には残っている。東京在住のロック好きの外国人は、ほとんどがあの会場に集結していたんじゃないだろうか。前年の9月に発売された「Nevermind」は1992年1月にビルボードのアルバムチャートで1位に登りつめたばかり。「Smells Like Teen Spirit」のビデオもMTVで流れまくっていたはずなので、すでに米国の最新情報に詳しいロック好きには大注目の存在だっただろう。かたや日本では、当時の自分が毎月熱心に読んでいた「ロッキング・オン」誌のディスクレビュー欄に、一応「Nevermind」のレビューは91年の発売時に載っていたものの、特に重要作の扱いも受けておらず、レビュー内容もぬるいことが書いてあるだけで、まったく印象に残っていなかった(ロック誌って新しい音楽を知る参考にはならないんだな、と後からつくづく思った)。自分が彼らの存在を知ったのは、91年の年末にバンド仲間の部屋で「Smells Like Teen Spirit」を聴かされていたから。彼は沖縄出身で、在日米軍向けのテレビ放送を実家で直接受信して視聴できるという環境にあって、英米ロックの最新プロモーションビデオだとか、「Saturday Night Live」にゲスト出演したバンドのスタジオライブだとか、貴重なものを録画したビデオをたくさん持っていた。彼にそんなビデオを貸してもらっては、何度も夢中で観たものだ。こう書くとまるで70年代の話みたいに思えるけど、今から見ればインターネット普及前夜の90年代も大して変わらなかった。ネットは世界を大きく変えたのだと改めて思う。そんなこんなで、当時まだ60~70年代のロックばかり聴いてリアルタイムの音楽に疎かった自分が、92年2月の時点でニルヴァーナを認識して最初で最後の来日公演を体験できたのは、その沖縄出身のアメリカ情報通の友人がいたからこそ。本当に感謝している。


ライブ本編の模様は、前に当ブログに書いたように全編が「Nevermind」30周年リリースにオーディエンス録音っぽい音で収録されているので、ここにつらつら書くよりもそれを聴くのが一番である。会場にいた自分が覚えているのは、周りの観客たちがどの曲の演奏でも大合唱していたこと。自分も一緒に終始歌い叫んでいた。すごい一体感だった。大ヒット中だった「Nevermind」収録曲はもちろん、インディー時代の89年に出た「Bleach」の曲もみんなガンガン歌う。観客の多くは自分と同じように、92年時点で聴けたこの2作を日々聴き狂った上で会場に臨んでいたに違いない。ここに集まった観客たちは、騒いだり暴れたりしたいというよりは、ニルヴァーナが作った「歌」が大好きで、一緒に歌いに集まってきたのだと、そんな風に感じた(ライブハウスで暴れたい観客は前々日のクラブチッタ川崎に行ったのかもしれない)。かつ、ものすごく陳腐な言い方になるけど、あのステージに立っていたのは「世代の代弁者」だと、ごく率直に思った。あの晩にステージを眺めていたときは、まさか「縦縞のお父さんパジャマ」を着ていたとは気付かなかったけど、ストライプの入った白っぽいだらっとした上下を着たカートが、だるそうにギターをかき鳴らして叫ぶ様は自分に決定的な印象を残した。これが自分の年代の「代表」だと、強く感じた。

このライブで不可解だったのは、代表曲「Smells Like Teen Spirit」を最後の最後まで披露せず、2回目のアンコールでやっと演奏したこと。当時のライブ評にも書かれていたけど、あの曲はいつもの彼らなら6曲目ぐらいにおもむろに、面倒くさそうに始めるものであって、最後まで取っておくのは「ニルヴァーナ任侠道」(ライブ評の表現)からすると違和感が大きい。なぜこうなったのか。「演奏するのを忘れていて、スタッフに言われて最後に仕方なくやった」という説もどこかで読んだことがあって、そういうことなのかと長年思っていたけど、当時のセットリストを確認してみれば、大阪・名古屋・川崎・東京のいずれの公演でも「Smells Like Teen Spirit」は一番最後だった。あの晩だけ忘れたわけではなかったのだ。来日の直前、2月9日のニュージーランド公演でも同じ。彼らの本拠地から離れたところで、この曲を最後の最後にやるという「実験」をこっそりやってみたかったのだろうか。自分が観た中野サンプラザのステージでは、2回目のアンコールで再登場してこの曲を始める前に、小さなシンバルを持ったおサルさんか何かのぬいぐるみをクリスが持ち出して、クイーンの「We Will Rock You」の一節を歌いながら遊んでいたのを覚えている。以下の「Territorial Pissings」の3:25あたりから、その模様が聞ける。

そんなこんなで、何だか変な終わり方のセットリストではあったけど、「Smells Like Teen Spirit」の演奏後はそのまま破壊活動に突入、ステージで消火器まで噴射して(後で怒られたと聞く)ニルヴァーナは嵐のごとく去って行った。1992年2月、この公演の直後にはガンズ・アンド・ローゼズの来日公演もあって、そちらも観に行った。当時ニルヴァーナと犬猿の仲だったガンズだけど、自分がどちらのバンドにつくかは、両者の公演を観る前からすでに火を見るより明らかだった。ニルヴァーナを目撃した帰り道、がらんとしたバスの後部座席にどっかり腰掛けながら、今まで生きてきた中で一番大きな満足感に浸っていた。もちろんライブを観る直前の鬱屈など完全に消し飛んでいる。今これを選んで、観に行くことができた自分は絶対に間違っていない、これが正しいのだと、強く確信した。自分がこんなに固く何事かを確信できたのは後にも先にも滅多にないことだった。10代後半の自分はつらいことがたくさんあった暗黒時代だったけど、そんな来し方も20歳になる直前のあの夜、初めて肯定できた。今、ここで、ニルヴァーナを見られた自分は絶対に間違ってないぞ、と。これは今でも自分の中で大きな位置を占める体験。30年経った今日も、やっぱりあのときの自分は正しかったな、と同じことを思うし、あの気持ちだけは死ぬまで忘れないはず。

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来日記念盤としてリリースされたEP「Hormoaning」の帯に、来日公演スケジュールが書かれている。DEVOもヴァセリンズも当時は知らなかったけど、ここに入っているカバーはどれも最高の出来で(のちに「Incesticide」に収録)、自分は今でもニルヴァーナ版が大好き。ライブ当日、会場への行き帰りにこのCDをずっと聴いていた記憶がある。

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