夢は世界平和、あきらめたらいけない

自分は祖父母や親族から戦争体験についての話を直接聞くことはなかった。育った東京にいまも残る戦争の痕跡も、かなり後年になってそうだったのかと知るだけで、自分自身は戦後の発展をただただ享受しただけ。戦争があったという実感はほとんどなくここまで来た。もちろん戦場体験もないが、戦地に赴く兵士の列は見たことがある。99年、初めてのインド旅行でヒマラヤ山中のラダック地方を訪れた。インドとパキスタンが帰属をめぐって争っているジャンムー・カシミール州の一部で、当時は両国間の大きな武力衝突があって緊張が高まっていた。当地をたまたま訪れていた自分は、インド軍の戦車の列が通りかかるのを見た。兵士たちに向かってVサインを送るラダックの人々。彼らは本当の戦争に行くんだ。彼らの何人か、何十人かは、戦地で手足を失うかもしれない。もしかしたら、頭をかち割られたり、身体に穴を空けられたりして、たくさんの血を流して死んでしまうかもしれない。本物の戦いに向かっていく兵士の群れをこの目で直接見て、想像したことは20年経った今でも忘れない。

同じとき、これもたまたま、ダライ・ラマ14世がラダックを訪れて大説法会を開いた。聴衆のひとりとして観に行った。音楽フェスみたいに、広大な野外の会場に数千、数万の聴衆が集まり、ステージにいるダライ・ラマ14世の説法を青空の下で聞くのである。英語通訳が流れるイヤホンを渡されたが、説法の内容は地元聴衆向け、チベット仏教の奥義に関するものらしく、自分にはちんぷんかんぷんだった。しかし、数万の一般聴衆はその高度な説法を静かに、真剣に聞いている。日本人の自分は彼らより物質的には恵まれているのだろうが、精神的にはどうなのか。少なくとも、彼らのように炎天下の野外で静かにダライ・ラマの説法を聞いて、理解することができない。自分は誰の話も真面目に聞いてないじゃないか。この光景もいつまでも印象に残っていて、一体あのときの難しい話はどんなことだったのだろう、とダライ・ラマの講演を集めた著書を買って読んだりした。専門的なチベット仏教の話はやはり難解だったが、西洋の聴衆に向けて世界平和について語る言葉に心から同意した。

その言葉は難しい内容ではない。個人個人が内なる平和、心の平和を実現できれば、世界は平和になる。できればさらに、他者の幸せのために努力する。それができなくても、少なくとも内なる平和を保ち、自分だけの利益のために他者を害さないこと。世界はすべてつながっているので、自分だけの幸福のために他者を犠牲にしても、結局その他者に与えた害は必ず自分に返ってくる。……こんなシンプルなことなのに、人間は戦争をやめられない。でも、ノーベル平和賞を受賞するような人々も、自分を含めてノーベル平和賞レベルに達していない、戦争を止められないその他大勢の人々も、同じ人間である。人間である限り、精神的にまだ向上できるかもしれない。人類はこのまま、猿に毛が生えた(いや、毛がなくなったのか)程度の動物として利己的な欲望を止められずに破滅に向かっていくのか。いまは第3次世界大戦前夜なのか。もっと本気になれば、人間は成長できるんじゃないのか。だから、人間としてまだ進化できる可能性をあきらめない限り、夢は世界平和。本日は終戦記念日、インドの独立記念日でもある。

ここまで書いて、ちょうど市の防災無線から黙祷の呼びかけがあったので、手を合わせた。戦争で亡くなられたすべての方々のご冥福を祈ります。世界から戦争がなくなりますように。

2019年9月18日後記:

上は2011年、スリランカ旅行中に撮った写真。とても景色のいい川べりで休憩中、そこにいた僧侶たちに写真を撮らせてもらった。この記事に見出し写真がほしかったので、投稿してから一ヶ月以上経って今さらだが付け加えることにした。2009年に内戦が終結してから2年、スリランカ人にはまだ戦乱の記憶が新しかっただろう。レンタカーのドライバーさんに内戦にまつわる話を少し聞いた。車で移動中に眺めたスリランカの風景は心癒やされる穏やかなものだったが、内戦の頃はこの場所で凄惨な暴力が起きていたのだ、というドライバーさんの話に震えた記憶がある。以後のスリランカは安定していたようだが、今年の4月にコロンボとニゴンボでキリスト教徒を狙った大きなテロ事件が起きた。どちらの街も2011年に訪れていた。悲しい形でスリランカ旅行のことを思い出してしまった。あらためて、世界から悲惨な戦争や暴力がなくなりますように。

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