昨年9月8日の出来事とその後

今年の元旦、自分が年明けいきなりの高熱でダウンしていたときに、遠く能登半島を中心に最大震度7の大地震があり、石川県・富山県に甚大な被害をもたらした。これを書いている時点で発生から10日目だけど、いまだその被害の全容も明らかになっていない。能登半島といえば6年前の夏、のとじま水族館までペンギンを観に行ったことがある。小学生だった息子が夏休みの自由研究のテーマにペンギンを選んでいて、そのための調査と称して遊びに行ったのだ。石川県を訪れるのはその時が自分にとって生まれて初めてのことだった。輪島の方へは時間がなくて行かれず、半島の南の方を少しうろうろして金沢に寄っただけだったけど、その旅で見てきたあれこれがとても楽しい思い出として残っている。その能登島の水族館も、ジンベエザメが死んでしまうなど大きな被害を受けたようだ。震災のニュースを見るたびに、特に自分の息子と同じぐらいの年の子が亡くなった話などに接すると、とても胸が痛む。震災の犠牲となられた方々のご冥福を心からお祈りします。被災され、普段の暮らしを破壊されたたくさんの方々の日常が一刻も早く戻りますように。

水族館で撮った写真。二頭いたジンベエザメのうち、雄の「ハチベエ」が亡くなったという。写真のジンベエザメがどちらなのかは不明。

こんなときに、ちっぽけな自分の話をここに書くのは本当に気が引けるのだけど、遅かれ早かれ書かなければならない。自分にとっては昨年最大、いや人生の中でもかなり大きな出来事が当ブログにまだ書けておらず、このままでは先に進めないのだ。家に水が入って持ち物が濡れただけで大した話ではないのだけど、災害の話を読みたくない方は、ここでブラウザを閉じるなり前のページに戻るなりしてほしい。昨年9月の台風に伴う記録的大雨で、自宅が床上浸水の被害に遭い、かなりたくさんの持ち物を水没させ、失ってしまった。自分の大切な宝物だったものが、一瞬にして「災害ゴミ」と化した。このことについて、未だに自分の中では整理が付いていないというか、あえて心の中で触れずに放置している。これを書いている自部屋は自宅の1階にあって、水は床上85cmぐらいまで届いて、低い位置に保管してあった主にCDと、レコード、本の一部が水浸しになった。レコードの大部分は床に近い位置に並べていたので、まさか水害なんてとは思うけど一応は避難させておこう、という意識が働き、早めに2階まで上げておいた。おかげで、アナログに関しては救うことができたけど、CDはだいぶやられてしまった。本もほとんど廃棄する羽目になった。オーディオ機器は、アンプとスピーカーは助かり、アナログとCDのプレイヤーは水没して廃棄。

住んでいる地域が水害リスクのある場所で、4年前の台風でも被害を受けていたことを知ったのは、引っ越してきた後のことだった。大きな台風が来るたびに冷や冷やしていたけど、とりあえず何事もなくここまで来たので、今回も大丈夫だろうと思っていた。その日はまず、朝早くに近所の方が家にいらして、車を高い場所に移動しておいた方がいいと忠告してくれた。今にして思えばここですでに決定的なフラグが立っていたのだけど、とりあえずその言葉に従って車を移動した後は、この記事を書いているパソコンと先述のレコードだけを2階に移動して、午前中いっぱいは様子見を決め込んでいた。前触れもなしにいきなり襲ってくる震災とは違って、水害は来ることが前もって十分に予想できて、色々な持ち物を2階に避難させる時間はたっぷりあったのだけど、まさか本当に家に水が入ってくることはないだろう、これぐらいの雨でまさかまさか、という風にかなりギリギリまで思っていた。完全に「正常性バイアス」が働いていたのだ。そんな言葉だって知っていたのに、実際に我が身に降りかかってみると全然動けない。雨の予報だってずっと見ていた。「線状降水帯」が自分のいる地域にかかっているのも知っていたし、自宅前の道はすでに川のような状態だった。それでも、決定的なことは起こらないだろう、と高をくくってしまう。災害という、自分の人生にこれまで起こったことのなかった大きな出来事がまさに起ころうとしているときに、こんな風に思考が停止するとは。

正午を過ぎると明らかに状況が悪化してきて、12時に撮った自宅前道路の写真では膝下ぐらいまでの水位だったのが、13時には一気に肩ほどまでに上がり、自宅への浸水もついに始まった。14時前には自宅前の水位は大人の背丈を超え、宅内への浸水も最高潮に達して、居間のダイニングテーブルは水面の下、台所の冷蔵庫は横倒しになってプカプカと浮いた。この時点で救えた持ち物はすでに書いたようにごく一部で、当ブログにもたびたび登場させてきた大切なものの多くが汚水に浸かり、ふやけ、電気製品はショートを起こし、と散々な結果になった。丹念に拭いたり乾かしたりすれば救えたものも、結構あったかもしれない。しかし、自分の心がもうついて行けなかった。被災した翌々日ぐらいから、もうあまりものを考えたり、判断したりできなくなった。心のスイッチをオフにして、大切だったはずの品々をビニールひもで縛ったりゴミ袋に詰め込んだりして、自宅前の道路わきに災害ゴミとして積み上げた。収集されるまで2週間ほどの間があり、しばらくは捨てた品々が目に入ってくる状態だったけど、何も考えないことにしてやり過ごした。サバイバル能力の非常に高い友人が遠方から助けに来てくれて、車中泊をしながら泥水のかき出し、片付け、消毒、さらには料理までしてくれて、本当に大助かりだった。思考能力も行動意欲も日に日に低下する一方の自分はひたすら何もできず、情けない状態。

友人のスーパーボランティア級大活躍のおかげで基本的な暮らしは被災後10日ぐらいで立て直すことができ、仕事も再開したのだが、自分の精神状態は水害の前から元々悪かった上にこれでとどめを刺され、夜に全然眠れなくなってしまった。明け方に目覚めると何かしら不安材料を見つけては猛烈な後悔に襲われ、布団の中で七転八倒する。スーパーに買い物に行っても、悲しい気持ちになるばかりで何を買っていいのか判断できず、普段の倍以上の時間がかかる。近所の方々には嫌われ疎まれていると思い込むようになる。一日に何度も、突然居ても立ってもいられない気持ちになって自部屋の中をぐるぐる歩き回り、壁を殴り、大量の氷をバリバリかみ砕く。万事がそんな調子で、もう自力で自分を立て直せる気がまったくしなくなり、生まれてはじめて精神科を受診することを決心。適応障害と診断されて薬を出され、その副作用でさらに不安感や意欲喪失がひどくなったり、強烈な眠気に襲われたり、常に頭に濃いもやがかかったような「ブレインフォグ」状態になって何も考えられなくなったりと、とにかく12月上旬あたりまではひどい精神状態だった。おかげでブログも全然書けなかった。もう自分はこのまま認知症になるんだろう、決して元には戻れないだろう、と諦めた頃に、取っ替え引っ替えしていた薬のひとつが効き始めたようで、やっと気力が戻ってきたのが今から一ヶ月ほど前のこと。状況も色々と好転してきた。この記事もこれでようやく現在につながった。

今回の文章はこの辺で終わりにするけど、最後に改めて強調しておくと、やはり「正常性バイアス」という概念を頭では知っていたところで、実際に災害が我が身に降りかかってきたときには、ほとんど何もできなかった。自分の場合は命を取られるような状況ではなくて幸いだったけど、大切なものや命をこんな判断ミスで失わないように、この記事でも注意喚起をしておく。以下の資料に「正常性バイアス」のわかりやすい説明がある。

正常性バイアス ~災害時にカギとなる心理作用~(神戸市)

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