2011年3月11日、日本にいなかったけれど

8年前の今日はインド生活まっただ中だった。日本で大震災があったというニュースは現地にも広く知れ渡っていて、自分だってネット経由で状況を知るだけだったけど、日本人代表として色々なインド人に声を掛けられて、家族や友達は無事だったかと気遣ってもらった。無事だった。震災後はじめて日本の土を踏んだのは翌年の春で、1年ちょっと経っていた。あれだけ大きな災害を経験して、日本は、東京はすっかり変わってしまったんじゃないか、変わってないのは自分だけなのではないか、と浦島太郎のような恐れを内心抱きつつの一時帰国だったが、1年経った東京で目に見えた違いは、灯りが少し暗めになっていたぐらいだったと記憶している。もちろん、首都圏在住の家族知人が当日それぞれ大変な思いをしたという話は聞いた。

自分自身はこの震災を含めて大災害、大事故、大病、いずれもこれまでに直接体験したことがない。いちおう東京出身でありながら、あの震災にかすりもしなかったことに、昨年あたりまでずっともやもやとした気持ちを抱いていた。罪悪感のような。しかし今朝はじめて思ったのだが、あれからもう8年経っているのである。当時東京人だった人々も各地に散らばったり、逆に各地から新しく入ってきたりしてシャッフルされた上に、震災後に生まれた赤ちゃんも小学生。自分以外の「東京人」全員が大地震の恐怖を生で体験した、なんて時期ではとっくにないのである。一方、自分の中にも、直接ではないけど、色々な人に気遣ってもらったり、心ないことを言う人もいたり、現地の知人関係者たちから寄付を集めて募金をしたりといった、震災にまつわるさまざまな「記憶」はしっかり残っている。遠くで暮らしていたけど、震災とまったく無関係だったわけではなかった。

仙台など、もっと被災地の近くで暮らしていた人々の間でも、影響の程度の差はかなりあったと聞いた。本当に運命、巡り合わせの問題と言うしかない。もちろん無事に生き延びることに何の罪もないのだ。大きな悲劇があったことをすっかりなかったことにして、被災された方々の痛みに無頓着になることは、罪かもしれない。福島廃県論なんて言葉をネットで見かけて、強い怒りを感じたことを覚えている。愛着のある大切な故郷を奪われる悲しみは、はっきりした故郷を持たない自分にも十分に想像できる。日本の外で暮らしたことがあるから、わかる。よくそんな簡単に人の大切なものをないがしろにできるものだ。8年前の今日、故郷の国で起きたあの大きな災害を、遠く離れた国からネット経由で見守るしかなかったもどかしさも含めて、忘れないようにしないと。せめて年に一度のアニバーサリーにはこうやって思い出して、しばらく考えて、記事を書こう。日本で暮らしている限り、我が身にもいつ降りかかるかわからない震災のこと。亡くなった多くの方々の魂が安らかでありますように。残された方々が今でも抱えているであろう悲しみ、苦しみが癒えますように。


2012年春、震災後はじめて帰った日本でウィークリーマンションから眺めた東京

タイトルとURLをコピーしました