訳詞:David Bowie「Conversation Piece」

自分がデヴィッド・ボウイの音楽と出会ったのは、90年代初頭、20歳になる少し前のこと。80年代に十代の大半を過ごした自分の耳に、当時ヒットしていたはずのボウイの音楽は本当にまったく聞こえていなかった。多分、コンテンポラリーなポップスターとしてのボウイのことは、自分と関係のない人だと認識していたんだろう。「Space Oddity」以降の旧作群が一挙にCD再発された1990年に、聴いたことのなかったボウイの初期作品群がCDレンタル店の棚に並んでいるのを見て、まず手始めに「Changesbowie」を借りてみたのを覚えている。1969年から80年代前半までの代表曲を集めたベスト盤。1曲目の「Space Oddity」で、文字どおり宇宙まで飛ばされてしまった。あれ以来、デヴィッド・ボウイは自分の一部と言ってもいいほどの大切な存在。7年前の1月11日、届いたばかりの新作「Blackstar」を聴いて、現在進行形のボウイの素晴らしさに感激している最中に、まさかの訃報が届いた。毎年、この時期になるとその日のことを思い出す。

「Conversation Piece」は、90年にCD再発されたボウイの旧作群では1作目のアルバムとして出た「Space Oddity」に、ボーナストラック扱いで入っていた曲。1969年のオリジナルアルバム発表当時は収録から漏れ、翌年にシングルB面としてひっそり発表されたという地味な曲だけど、CD再発でボウイを知った自分にとっては、ボウイ観の絶対的基準と言っていい重要な曲である。曲調は当時のボウイらしい穏やかなフォークロックだけど、この歌詞はあらゆる飾りをはぎ取って、ありのままの内面をさらけ出しているように見える。この、コミュニケーションが苦手で周囲の世界との疎外感に苦しむ人物が、本当に「素」のボウイなのか、これも一つの人物造形なのか、実際のところは自分には分からない。それでも、きら星のようなボウイとは遠くかけ離れているはずの自分のことが書かれているとしか思えない「Conversation Piece」があったからこそ、ボウイが自分の一部のように大切な存在になったのは紛れもない事実なのだ。

心の痛みを和らげようと歩きに出た
何が僕を苦しめているのか知りたくて
自分自身を見つめるつもりじゃなかった
学業にたくさんの時間を費やしてきたこととか
何もかもがはるか昔の出来事のようだ
僕は考える方が得意だ 話すことよりも
どのみち話し相手なんかいないけど

道路が見えなくなってしまった
僕の目に降りだした雨のせいで

僕は食料品店の上で暮らしている
店主はオーストリア人で
よく階下から食事に呼んでくれる
片言の英語を冗談の種にして
僕と仲良くなろうとするけど
僕は文章に書かれた会話を長年読んできたわりに
こういう場面になると何も言えず突っ立っている

橋が見えなくなってしまった
僕の目に降りだした雨のせいで

世界は活気にあふれている
僕のことを知らない人たちばかりが
二人、三人、もっと大勢で連れ立って歩いている
あの食料品店の上を照らす明かりは
僕の顔をとても無遠慮に眺め回す
僕が書いた文章は床に散らばったままだけど
そこに残せただけで目的は果たしている

そして僕の手は震え、頭は痛み
声は喉につかえて出てこない
僕は透明人間、口も利けない、誰も僕のことなど思い出さない

川の水が見えなくなってしまった
僕の目にあふれる涙のせいで

初期ボウイの共作者だったジョン・”ハッチ”・ハッチンソンと演奏したシンプルなデモ音源。二人のハーモニーがとても綺麗。

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