Old Friends

自分は転校生だった。親の転勤の都合で小学校は2回変わった。3年生に上がる頃に都内から千葉県内に初めての転校。ここで幼なじみとは完全に切れてしまい、転校先では「東京から来た」というだけで最初のうちは冷たい目を向けられた。さらに、2回目の転校はひどいタイミングで、6年生の2学期。卒業式で泣かないと冷たい人と言われるらしいが、数か月しかいなかった学校では泣きようもなかったのである。以来、性格的な面も当然あるだろうけど、こういう節目のセレモニーとか、集団に帰属することに対してとても疎遠な気持ちがある。この転校生体験は自己形成に大きな影響を及ぼしていて、未だに自分は「万年転校生」なんだと思う。疎外されることに敏感になってしまった。自ら選ぶ孤独は全然いいけど、他人から疎外されるのはとても嫌なのだ。

疎外されたくないあまり、道化を演じて仲間に入れてもらおうとした時期もあった。でも、友達だと思っていた人々は自分を馬鹿にしているだけだと、ある年の夏休み前に気づいてしまい、夏休み中ずっと悩んだ末、休み明けからその道化を演じるのを一切やめたところ、「友達」は限りなくゼロに近くなった。そんな「友達」なんかいらなかったので望むところだったけど、そのとき残った本当に少ない友達のひとりとは今でもたまに交流がある。海外暮らしをしていたとき、会いに来てくれた唯一の知り合いも彼だった。海外出張ついでに寄ってくれたのだ。彼と一緒にいて、大して気が合うとか楽しいとかいうこともないんだけど、本当の意味での旧友が一人でも残っていることは何だかとても有り難い気がする。

その旧友ほど古くはないが、海外暮らしをしていたときに知り合った友人がいる。その友人は知り合ってから1年ほどで帰国、さらにまた別の海外で働くようになり、以来何年も会っていなかったが、彼の実家が自分の現住居と同じ県内にあり、最近事情があって実家に戻った彼とまた何だかんだ会うようになった。今日もちょっと会った。もうすぐまた海外に渡って一年間の仕事を始める彼のバイクを預かることになったのだ。しばらくまたお別れだ。じつは今朝の記事に書いたトケイソウを彼は育てていて、大量のパッションフルーツをもらったことがあった。そのときにあのすごい花の話をしたから、自分はトケイソウの名前を覚えていたのである。近ごろ、治安が極悪な土地で働くことが続いている友人の安全を祈る。


バイクで一緒に旅をしたこともあった

タイトルとURLをコピーしました